押して、飛んで、また押した
北海道まで空を旅したSRX
 「夏が来れば思い出す」と唄われたのは尾瀬だが、僕が思い出すのは、1994年7月の北海道ツーリングだ。関東から北海道へ渡るには、大抵のライダーがフェリーを使う。フェリーは運賃が安い代わりに、時間がかかる。仕事の都合で7日間しか休みが取れないのに、往復で2日ずつ費やしてしまっては、肝心の北海道にいられる時間が減ってしまう。最も速い移動手段は何か? その答えは飛行機だ。
 夏のシーズン中は、バイクと人を飛行機に積んで北海道へ飛ぶ便が運行されていた(今はどうだか知らない)。飛行機なら旭川まで2時間足らず。朝に出発して、昼からはもう北海道の広大な大地を疾走できるとあれば、利用しない手はない。料金は大人2人分ほどかかるが、時間を買うのだから仕方ない。
 よく晴れた7月の朝。僕はまだシルバーだったSRXに乗って羽田空港に向かう。飛行機に貨物としてバイクを載せるためには、ある手順が必要だ。
 まず、空港内のガソリンスタンドに寄り、タンクのガソリンをほんの少しだけ残して抜いてもらう。危険防止のため、ガソリンを満載した状態では積み込んでもらえないのだ。そこから貨物ターミナルまで走り、バッテリーのターミナルを外してからコンテナに積載してもらって、ようやく飛行機に載せてもらえる。
バイクはコンテナに積んで運ぶ
 普通に作業すれば何の問題もないはずだが、僕の場合はちょっと違った。ガソリンスタンドではポンプを使って給油口からガソリンを抜かれた。覗き込んでみると、ほんの少ししかガソリンが残っていない。こんなんで大丈夫かなあと不安を抱えつつ、かなり離れた貨物ターミナルを目指す。
 ところが、緊張からか途中の分岐を見落としたのが運の尽き。羽田空港では一度道を間違えると、敷地内をぐるりと回ってからでないと元の場所に戻れない。焦りながら分岐に戻り、貨物ターミナルに続く坂道に差しかかったとき、バスンバスンという音を立ててエンジンが息絶えた。ああ、ガス欠だ。
 仕方なくバイクを降りて、坂道を押して上っていく。軽量なSRXとはいえ、急坂を押し上げるのは相当難儀だ。夏の日射しの下、ヘルメットを被ったままの額から汗が流れ落ちてくる。その昔、鈴鹿8耐でクラッシュしたバイクを延々と押してピットまで戻ってきた選手がいたが、まさにそんな気分だ。坂道の先に見えた貨物ターミナルは、僕にとって鈴鹿のピットだった。
 何とか無事にSRXを飛行機に乗せ、旭川までひとっ飛び。快適な空の旅だ。だが、悲劇はまだ終わっていなかった。そう、タンクが空っぽのSRXは、飛行機を降りてもそのままでは走り出せないのだ。
 今度は貨物ターミナルから空港内のガソリンスタンドまで押していく苦行が待っていた。空港のおじさんが「あそこね」と指差したガソリンリスタンドは、緩やかな丘陵のはるか向こうに見えた。空港は広いのだ。
コンテナから出てきたSRX
 再び炎天下をバイクを押して歩き、ようやくSRXにガソリンが満たされた。エンジンが息を吹き返し、バイクに跨って初めて気が付いた。あれっ、ヘルメットを貨物ターミナルに置いたままだった。まあ、空港の敷地内だからいいか。
 ノーヘルのまま走り出すと、北海道の乾いた風が顔に当たり、汗がすうっと引いていく。緩やかな丘陵を駆け降りながら、北海道っていいなと思った。

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