バイクを降りようと本気で考えた
ノリック追悼
 ノリックが死んだ。ノリックの事故死を伝えるWebニュースを夜中に読んだとき、こめかみの辺りからスッと血が引くような感覚を覚えた。あってはならないことが起こったと思った。
心に残るライダー
 阿部典史選手を初めて知ったのは、彼が1993年に全日本GP500で最年少チャンピオンになった頃だ。それまでの常識を覆すパワースライドを多用するライディングには、「あんなに滑っているのに、よくコントロールできるな」と驚かされた。1995年には早くもWGPに参戦し、「彼なら日本人初の最高峰クラスチャンピオンになれる」と思った。
 バイクを深くバンクさせながらも、上半身は車体中央に残し、まるでリーンアウトのような形で下半身を使ってスライドコントロールする。その独特なフォームは新時代の到来を予感させた。常にアグレッシブに走り、バイクを降りれば陽気で、ファンを楽しませることに心を砕いた。
X-Elevenノリックレプリカ
ノリックレプリカのヘルメットを前に、息子とで合掌して
お礼を言った。「レースで楽しませてくれてありがとう」
 だから、たくさんのファンがノリックを応援した。もちろん僕も。1999年にツインリンクもてぎで初めてのWGPが開催されたとき、雨の中で3位に入賞したノリックに拍手した。WGPではいつもノリックの成績が気になった。レーシングヘルメットは、ノリックのレプリカモデルを買った。
 今年は筑波サーキットでJSBのレースを見に行った。レース前にパドックからピットへと向かうノリックが僕のすぐ横を通っていった。決勝では、二度の再スタートでロケットスタートを決めたノリックに、息子と一緒になって声援を送った。ノリックが前のライダーを追い詰めるたび、観客席では拍手が起こった。これがノリックの人気だ。長らく低迷を続けていた全日本選手権が、今年は盛り上がりを見せているのは、ノリックのおかげと言ってもよかろう。僕だって、初めて全日本のレースを見に行ったのだから。

ノリック死がもたらす影
 ノリックの死は、有能なレーシングライダーを失ったこと以上に、多くのライダーに影響を与えるだろう。サーキットでのアクシデントならまだしも、公道を走っていての交通事故となると、「バイク=危ない乗り物」の図式が、これまで以上に人々の意識に刻まれる。
 僕自身、事故を経験したり知人が亡くなったりして、バイクの危険性は認識している。それでもバイクには乗ってきた。しかし、長年応援してきたトップライダーがバイク事故で亡くなるという事実を突きつけられたとき、バイクに対する情熱が急速にしぼんでいくのを感じた。もうバイクはやめようかと思った。今は息子も自分のヘルメットを被ってバイク教室で汗を流している。たまにはSRXの後席の乗せることもある。だが、自分はともかく、息子の命までバイクに乗ることで危険にさらしてよいのだろうか。
 ノリックは積極的にバイク教室に協力し、子供たちに乗り方を教えていた。彼は、それでもバイクは楽しいと言っているのか、それとも死をもってバイクは危険だと伝えたのか? できるものなら、その答えを聞きたい。

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