四大戦とは
毎年10月に、成蹊大学、成城大学、学習院大学、武蔵大学の
4つの大学により開催される大学あげてのスポーツイベント。
この大会に出場するには、各大学で予選会を勝ち抜くことが条件とされる。
軟式野球は各大学代表2チームごと、計8チームが四大戦優勝の栄誉を目指し
戦うことになる。フェローズにおいてはこの大会を最大目標として活動している。
フェローズ3期生の記録〜1997年10月〜

それは成蹊フェローズが活動を本格化して3年目の1997年、
四大戦本選で起きた伝説の連打であった。
後に人々は、アトランタオリンピックのサッカー、「マイアミの奇跡」になぞらえて、「成城の奇跡」と呼ぶことになる・・・

7月の猛暑の中、苦しい試合の連続ながらも勝負どころでの副キャプテン石蔵の「チャンプ節ホームラン」、
そして赤尾の、「エラーのお返しホームラン」、エース下沢の熱投など、執念で四大戦本選出場権を得た予選を経て、
我が成蹊フェローズは四大戦本選を迎えた。
8月の合宿も順調に終わり、トップトラベル杯では苦汁を嘗めたものの、本選前の練習試合では決して派手ではないが、
しっかり守り、クリーンアップを中心に少ないチャンスをものにするフェローズ野球の完成を見せた。
まさに伝統のチームワークでよくまとまったチームだった。

グリーンパークでの練習で、キャプテン岩波(当時22歳、髪もまだありました)が言った。
「この四大戦が終わったらこんなに本気になって勝とうと努力すること、
     真剣に勝ちたいと思うことはもう一生ないと思う。だから頑張ろうよ。」
まったくもってその通り。さすが我らがキャプテン。
そして10月、本番の秋を迎えた・・・

1回戦の相手は学習院大学。
ユニフォームもろくに揃ってないチーム。しかし気合の入りすぎかフェローズ野球にいつもの冴えは見えない・・・
エース下沢温存の為、先発は勝谷。練習試合では好投を見せていたが、さすがに本番で硬くなったのか2回途中、
1失点でなおピンチを残したまま下沢に交代。
降板後のコメントは、「ホームベースが遠かった・・・」
急遽登板となった2番手下沢はいつもの快調なピッチングで学習院打線をピシャリと抑える。
エース下沢の登板以降、守りではサード赤尾がいつもショート任せにする三遊間のゴロに猛然と飛び込む気迫を見せるなど、
気合十分でいつも通りの野球が徐々に姿を見せ始める。

しかし、フェローズ打線はヒットが出ない・・・

重苦しい空気が流れる中、2番勝谷が右中間を抜く3塁打!
2アウトながらチャンスを作り出す。ここでバッターは燃える闘魂、3番赤尾。
ドカベンの岩鬼をほうふつさせる豪快なスイングから弾き出された打球は、サード正面のゴロ・・・
万事休すかと思われたが、サードが1塁に悪送球。
敵のエラーを誘うアントニオ赤尾の頭脳プレーにより同点に追い付く。

しかし試合は膠着状態のまま最終回表、フェローズの攻撃を迎える・・・
円陣の中心で背徳が宣言する。
「同点で終わっても、俺がジャンケンでツモってやるから心配するな!」
それが一番心配なんです・・・

フェローズの攻撃はあっという間に2アウトとなり、バッターは絶好調の機動戦士羽鳥。
快音を残した打球はレフト前に火の出るようなライナー。
守備位置が深いうえに緩慢なレフトのプレーを見た羽鳥は猛然とセカンドへヘッドスライディング!
ただのレフト前ヒットを2塁打にしてしまう。
動揺した学習院ベンチはここでタイムを要求。マウンド付近でなにやら話し合っている。
ここでバッターは今日ヒット1本の勝谷。ベンチではS菊が吠える。

「勝谷、勝負だぞ!負けんなよ!!」

この場面で勝谷の集中力は、「人生最強モード」へ到達。
「応援団の応援も聞こえない。菊さん以外の人が何を言ったのかも聞こえてなかった・・・」(勝谷談)
ただ一つ思い出したことがある。
1年前の武蔵大学での四大戦終了後の打ち上げで、ビックマウス山本の言った言葉だった。

「ピッチャーはどうしても1球目はストライクが欲しいから、勝負はファーストストライクやで。」

勝谷の腹は決まった。
初球は、前の打席で3塁打を打ったのと同じインコース真っ直ぐ。
打球は狙いすましたようにセカンドの頭を超えていく。
セカンドランナー羽鳥が快足を飛ばしてホームイン!

逆転!!

裏の守りをエース下沢があっさり抑えて、辛くも準決勝進出。

翌日、学習院戦勝利の余韻を楽しむ間もなく我がフェローズは、
フェローズ史上初の四大戦決勝進出へ向け準決勝の朝を迎えた。
この大会はフェローズ関係者、応援団、学校職員を含め間違いなく、フェローズ史上最高の盛り上がりだった。
当日は朝早くの集合にもかかわらず選手はもちろんOB、前日敗戦の後輩たちも応援に駆けつけてくれた。
当時1年生佐野は遅刻したけど・・・
誰よりも早くS菊さんがベンチに座って一人燃えていた姿が昨日のことのように思い出される。
勝谷は朝のランニングでウォークマンを耳にユニコーンの【すばらしい日々】を聞きつつ、
3年間のみんなとのすばらしい日々に言葉で言い表せない感謝を全身で感じていた。

「とにかく悔いのない試合を!」

キャッチボールで、羽鳥が今までで見たことのない気合の入ったボールを返して来た。
みんなこの試合にかけてるんだと改めて気合が入ったね。
いつも馬鹿をやっている赤尾も口ひとつきかずに押し黙っている。
非常に印象的な姿だった。

今までフェローズにいて感じたことのない異様な雰囲気の中試合が始まる。
相手は前年も対戦して、下沢のホームラン、岩波のインターフェアがばれなかったお陰で1-0で勝てた成城ドジャース。
前日から絶好調の羽鳥がいきなりの先頭打者ホームラン!盛り上がりは最高潮。
続く2番勝谷・3番赤尾がフォアボールで歩きノーアウト1・2塁となり、主砲下沢が三遊間を抜きレフト前ヒット!
三塁コーチ、天野哲の右腕がぐるぐる回り、二塁走者勝谷が本塁をつくが気合が空回りの本塁憤死・・・ガックシ・・・

そのあとの記憶がじぇんじぇんありません、すいません。

そして本題。
僅差リードで迎えた満塁のチャンス(だったっけ?1・2塁?)で、7番岩波へ打順が回る。
岩波の体中に力が入っているのが見てとれた、私は、
「力を抜いてセカンドの頭を狙ってライナーで!」
とアドバイス。正直きついかと思ったが、期待を見事に裏切ってセカンドの頭を越す ヒット!!
まさに岩波、意外性の男である。

「やった!!!!!」   体中鳥肌が立つ。

帰ってくるランナーに気をとられているとなにやら岩波が1塁ベースを回ったところで苦しんでいる。
「アイツ、こんな時に笑いをとらなくても良いのに・・・」
と思いきや以外に重症。腕を痛めながらも必死に交代を考えている岩波。
「えーっと、えーっと、山下がキャッチャーで、菊池がいるから・・・代走、野澤!」
どこまでもお茶目な男である。

そして「徳袴連打」の完結編、8番袴田選手の登場!
今でこそOBチームの首位打者をとるなど成長を見せているものの、当時はただの8番バッター・・・
しかし、袴田選手、レフトセンター間へポトリと落とす決勝打。気合勝ち。
フェローズきってのムードメーカー2人の連打は、フェローズの勝負強さの象徴だった。

「いざという時の勝負強さは、どれだけ練習して自分に自信が持てるか、そしてどれだけ酒を飲んだかだ!」

と3大酒豪の1人が言ったとか言わないとか・・・
その後、成城の攻撃を大エース下沢が抑え、決勝進出。

フェローズ草創期からの歴史を自分達で作り出してきた3期生。
その中でも野球以外の部分においても非常に大きな影響力を持った岩波・袴田の連打で試合を決め、
フェローズ史上初の四大戦本選優勝まであと1勝と迫った準決勝は、
まさにみんなが力を出し切ったといえる試合ではないだろうか。
ちなみに勝谷は、フェローズ入団以来6年目を迎えた今季まで、たった一度しかない送りバントをこの試合でしている。
それぞれがそれぞれの仕事を全うし、力を出し切って勝った。
しかもそれが四大戦本選で出来た。
私個人的には、OBの試合も含めてベストゲームだと思っている。
しかも下位打線を打つ、岩波・袴田の野球素人コンビの活躍によって勝利を掴みとることが出来た、このことが大変嬉しい。

大学3年の春、武蔵野市民大会会場のグリーンパークで、
先輩方の試合を眺めながら当時入学直後の学大に岩波がこう言っていた。

「野球経験者が素人を教えながら一緒に頑張る。それが成蹊フェローズっていうチームなんだ。」

素人は試合に出さないんじゃなくて、みんなで応援して、育てて、
経験者も未経験者も一緒になって頑張る、そして四大戦優勝を目指す。
こんなサークルどこにもない。日本一の野球サークルだと胸を張って言える。
岩波・袴田の連打こそ成蹊フェローズだ。

たくさんの感動をありがとう。二人の連打には今でも感謝してます。

自分が打ったことよりも嬉しいと心から言えるヒットはそうはありません。
私は【徳袴の連打】をおそらく一生忘れる事はないでしょう・・・


<追伸  2000年秋・・・>
4期生の四大戦観戦中、職員のおじさんが声をかけて来た。

「君はショート守ってた子だろ?」

びっくりした。
俺なんか目立たないから誰も覚えてないと思ってた。
そのおじさんは言った。

「今日はOB集合だな。」

なんで分かるんだと思って聞いたらその人、
俺だけじゃなく3期生のメンバー全員わかってたみたい・・・
あの2日間がどれだけみんなの心に残ったのか・・・
それもこれもあの二人のお陰だね。

どうもありがとう。