阪神大震災(3)(まえ) (つづき)

 一息ついてから彼女はさっき家の中でガスのせいだろう意識が朦朧としていたといった。危ないところだったのかもしれない。ただ、眠かっただけかも知れない。永遠の謎ができた。
 帰る道すがら今朝の状態の話しを取りとめも無くしていた。その中で僕はとにかく驚かされた。3時ごろ間違い無くあったあの地震はどうやら僕だけのものだったらしいことに気が付いたのだ。そういえばさっき親戚の家でもその話題は皆無だった。車の中で彼女に
「それより先、3時ごろにも地震あったよね?」
と尋ねると
「そんなの無いよ。」という。
「寝てたんだ!」と僕が言うと
「起きてたよ。寝つけなくて」と答えた。車のラジオをつけて、ニュースを聞いても全くこの話題には触れれていない。余震があったのなら必ず言うはずなのに全く触れられないのはその地震が起こっていないからに違いない。でも僕はその地震を感じた。わざわざ起き出して玄関を開けたのだから間違い無い。一体、なにがどうなっているのか。これが僕が地震報道に興味を持つようになった一番の原因になった。そのごの報道番組の中で少しずつ自分の感覚を恐ろしく思うようになって行くのだ。
 翌日、僕達はいつもどうり会社に向った。ただ、いつもと違うのは電車もバスもタクシーも交通機関は全く運行していないことだけだった。隣街と言える神戸があんな状態なのに大阪はビルにひびが入ったりブロック塀が倒れたりはあるものの普通に暮らせる範囲だったのだ。もちろん地域によってはまだ水が止まっていたり、苦労しているところもあったようだが僕の家の周りも会社の辺りも普通だった。有名になった交通渋滞もまだ始まっていなかった。神戸と大阪を結ぶ国道2号線と直結する国道1号線が会社の前を通っているが地震翌日の午前中はいつもなりの渋滞で特別な状態ではなかった。救急車やパトカーのサイレンがひっきりなしになっていることだけが地震のあったことを物語る唯一のものといった状態がその日のお昼頃まで続いていた。

(つづき)