信用創造―――お金ってなに?
 お金について考えたことありますか。日本でお金と言えば「日本銀行券」って書いてある紙切れと丸い金属の板のことですよね。そこに書いてある数字の合計が10,000になる分をお店で渡すと10,000円分のものと交換してもらえる。今度はそれを別のお店(質屋など)に持っていくとさっきの紙切れと金属片を合計が8,000になるぐらいもらえる。これで、十分満足だったりする。この8,000でまた何かと交換してもらえるからだ。
この紙切れは日本銀行券といって日本銀行(以下日銀)が発行している。でも、普通の人が日銀にものっを持っていって日銀券と交換してもらうって話は聞いたことが無い。じゃあ、どうやってここに来たのでしょう。
 日銀と取引しているのはその他の町の中にある銀行でこれを市中銀行といい、日銀のような銀行券(お金)を発行する銀行を中央銀行といいます。市中銀行は日本銀行からお金を借りてわれわれに渡してくれるのでわれわれのところにお金があるという構図です。市中銀行も物を日銀に持って行くことはありません。銀行はお金を借りるか返すか、いずれかの取引しかしていません。
  ここで、われわれがお金を使うにはどこからかお金を持ってこなければなりません。普通は仕事をして給料として会社からもらうか、銀行・サラ金から借りるのいずれかの方法で持ってくることになります。さて、銀行はどうでしょう。銀行でお金を借りる場合、普通はその銀行に預金口座を開設し、そこに入金してもらいます。ここで、普段は気づかないトリックというか銀行のそれ以外の金融機関(証券・生命など)・事業会社との違いがあるのです。銀行は貸し出してわれわれの講座に「預金という電子のお金」を振り込んできます。預金は現金と同じように支払いにそのまま使えるのでお金と同じです。しかも、その単位は日本なら「円」で紙切れの「円」と同じ大きさでいつでも交換できるのでお金です。お金はどこからか持ってこなければ(資金調達といいます)貸すこともできないのが銀行以外といいましたが、銀行はお金を持っていなくても貸すことができるのです。これが銀行業務の真髄です。さて、どういうことでしょう。
  われわれがお金を貸す場合現金・預金という資産を減らして(相手に渡すのですから減るのは当然です)貸付金という資産を増やします。これは同じ額なので資産の総額は変わりませんがお金では無くなります。しかし銀行は貸付金という資産を増やして預金という負債を増やせば貸付を行えるのです。このいいかた、わかりにくいですね。簡単に言うとわれわれが借りて使っている預金は銀行がデータ上に作り出した架空のもので実はそこには何も無いのが実態なのです。しかし、その預金は手元にある現金と同じように使えます。現金を銀行のATM(現金自動受払機)にいれたのと借りたお金と使うときの利便性は変わりません。ただ、違うのはATMにいれたものは確かにさっきまで紙切れに書いてあった数字(普通金額といいますが敢えて)と数字が預金に増えているのでそこにあったものです。違いはこれだけです。銀行は何も無いところから紙切れに書いてあったものと同じ物を作り出しているのです。その作り出したものは紙切れと同じ物だと社会のみんなが信用しているため架空のものであるにもかかわらず普通に使えているのです。この銀行の行為のことを信用創造といいます。(世の中の)信用を(銀行が無から)創造しているのです。
  しかし、まったく何も無いなら誰も信用するはずがありません。ではなぜ社会は信用するのでしょうか。豊田商事事件をご存知でしょうか。「金の現物まがい商法」といわれた商取引はまさに、銀行の信用創造そのものといえます。昔お金はその金額と金の交換比率が決まっていました。中央銀行にお金を持って行くと○円=×グラムの金と交換してもらえたのです。これは中央銀行の義務でいつでも誰でも中央銀行に交換を要求できました。もし、そうだとすると普通の人は世の中に出回っているお金の総金額と中央銀行が持っている金の量はバランスしていると考えるでしょう。その金の量は計量できるのですがお金はいろんな人が持っていてしかも、四六時中人から人へ渡り歩くので総量を計測することはできません。だから、義務を負っているんだから金を持っているはずだと信用してしまいます。しかも、そこの倉庫には莫大な量の金塊がしまってあるればならなおさらそうです。
  しかし、実際はお金のほうが数百倍たくさんあるのです。不安になった誰かが交換しなくていいから本当にあるかどうか見せろと言ってきたとき「ほうらこんなに」と金塊の山を見せるとみんな安心したはずです。しかし、実際の金は足りません。中央銀行は世の中の人のほとんどをだましとおしているのです。豊田商事も同じ事をしました。持っている金をみせて、それを売ってお金をもらい金は渡さず預かる。同じ金を見せてこれを売ってお金をもらい金を預かる。これを繰り返せばお金はどんどん集まります。そのうちの誰かが金を売り戻したなら別の人にmたその金をうってお金を受け取りそのお金を売り戻した人に返せば問題はありません。これが信用創造です。いま、手元にあるお金と同額の金が豊田商事の倉庫にあると契約者全員が信じていれば破綻しなかったはずです。しかし、あるとき多数の契約者が不安になり金の預り証をもってお金を返せといってきたとき豊田商事の終わりが来ました。そう、信用創造はその実態が知れると必ず破綻するのです。
  ただ、信用創造は危険ばかりではありません。たとえばなにかいいアイデアを思いついて事業を起こしたいときお金が必要です。そのアイデアは3年後には儲けとしてお金になりますがそれは3年間事業を行った後でいまは何もありません。お金が無ければ事務所を開くと事も事業を開始することもできません。したがって3年後もお金はありません。ここで、信用創造の出番です。銀行が3年後のお金をいま、作るのです。そうすれば3年後それは事業で集められて銀行の作り出した架空のお金は返済で消えて無くなります。信用創造とはそのためにあるのです。いま、皆さんが持っているお金のほとんどはこうして創造されたお金です。この先はじっくりお考えください。…間違ってもみんなでいっせいに銀行に紙切れにしろなどといわないこと紙切れは足りないに決まっているのですから…

 追伸、先ほど述べた円と金の定率交換はいまは行われていません。定率交換があるのが「兌換紙幣」ないのを「無換紙幣」といい、ほとんどの国の紙幣はいまは「無換紙幣」です。

ちょっと、おしゃべり