北陸は大雪です。雪の中の生活が嫌で入社試験の時、勤務地は「どこでも良いのかね?」と面接官(後で総務部長だと知りました。)に聞かれて「雪が降らなければ!」と答えた僕です。
 近年、暖冬続きだったため実家でも良いかななんて思っていましたがやっぱり大変そうですね。金沢は雪国だ!って神様に叱られたような気分です。神様が人間が多少暮らしやすいように雪を減らしたり暑さを和らげたりしてくれているのに人間はあぐらを掻いていた。神様は「本当は自然は厳しいんだ!」って人に教え様としている気がします。夜のニュースで既に7人の尊い命が今回の大雪で失われたと報じていました。身動きが取れなくなった自動車の中でなくなった方が地元石川県で2人もいらっしゃると聞いて胸が詰まってしまいました。やっぱり自然は偉大で尊重すべき存在で「人間の浅知恵を許さないもの」だと肝に銘じる必要がありそうです。過ぎ去った20世紀は人が自然を冒涜した世紀だと思います。大自然のホンのちょっとコントロールできる様になってたかだか月まで飛べただけで重力を克服したなどといい、「自然と共存」などといって天狗になった世紀だと思います。先日起こった東海村の被爆事故等も天狗になった結果起こったものだと思います。
 ひとの存在は「自然と共存」するほど大きくは無く「人は自然のホンの一部に過ぎない」ことを再認識する必要があるのでは無いかと今回の大雪の被害を見て感じました。自然の中で生かしてもらう存在としてのひとがここにいる。その人という存在の片隅に1人1人の人生がある。それらに大きい小さいはなく、全てが自然界の掟に拘束されるホンの一部です。
 20世紀の「自然と共存の」から21世紀は「自然の流れに乗る世紀」へにしませんか。時の流れに身を任せ、無理をせず、人の英知を集めて自然の力を借りる。人が自然をコントロールするので無く自然のコントロールを人が利用するようなそんな世紀にしませんか。具体策はまだ有りません。全ての行動のコンセプトとしてそんな風にしませんか。
 僕はクリスチャンでも仏教徒でも有りません。いわゆる無宗教です。しかし神の存在は信じます。神とはきっとこの大自然そのもののことでそれを否定しては人は生きて行けないのだから。
 そう、僕が思考力をもつ人としてここにいること自体、自然の力に他なら無いのだから・・・
     
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