最近の賄賂報道を見て思うこと
 
 最近、世間を騒がしている「贈収賄罪」という罪に付いてちょっと思うところがあります。通常の社会常識と賄賂は全く別世界のものなのでしょうか。
 例えば、僕が病気で入院した時、お見舞いに来てくださった方にお礼をします。たいていは物を渡すのですが何が良いか分からない時は「商品券」を渡したりします。そのほか何かにつけてお世話になった人に金員を渡すのは「日本民族の癖」とでしょう。私は送りますし受け取ります。相手がプライベートな知りあいとは限りません。時として職務上の付き合いしかない人に贈り物をします。相手が「公務員」だとこれが賄賂になります。「加罰的違法性(罰則を与えるほどの違法性があるかどうか)」の問題は確かにあります。ただ、一体いくらが良くていくらがダメなのかハッキリしません。例えば僕が何かのお礼に「30,000円相当」のものをもらったとします。これは年収の1%に当たります。年収一億円の人に換算すると一百万円になります。それが社会常識を逸脱しているなら僕が頂いた30,000円も逸脱と言うことです。なにも賄賂を推奨しているわけではありません。日本民族が賄賂で成り立つ人間関係を前提に形成されていると言いたいのです。
 日本人の中で心のそこから「賄賂は悪」と断定出来る人はいったいどれほどいるのでしょう。「おまけ付きのお菓子」に始まって本当に小さい時から「賄賂に弱い日本人」が創られそれを基本的に肯としているのがわれわれ日本人だと思います。
 では賄賂はしょうがないのでしょうか。許すべきものでしょうか。正直なところ僕には分かりません。ただ、贈り物で作られる人間関係は閉じた社会でのみ成り立つものでそれを送った人と送ってない人を区別し送った人のみを優先することに成ります。これは至極当然な行為です。やっぱりよくないと思いませんか。ではどうするべきか。
 小さい時から中立な判断と中立な人間関係を保つ術を教えることが大切だと思いませんか。公と私の区別をし「私はメイッパイ閉じた人間関係」で「公は中立無私」で生きて行くを教え込むことこそが賄賂撲滅の唯一の方法だと思いませんか。中立無私な人間関係を築くべき公の範囲は非常に広くそうでない関係はほとんど存在しないことをもう一度考え直す必要があるのではないでしょうか。
 難しい問題です。公の範囲を広げると公明正大には成るでしょうが人間味の無いさびしい社会になりそうです。皆さんは何処にこの線を引きますか。新聞報道を見ながら改めて考えてみたいですね、批判するだけではなく・・・
 
けんちゃんのおしゃべり