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Sal Nevira
〜 緑の誓約 〜


心に在る 想い 聞き給うは いづくの神か



第7章











[ 1 ]




 ラナシアスが娘を伴って水界に帰還したのは、騒ぎから一刻ほどが経過した頃だった。
「ラナス!」
 目前で娘を取り逃がしたふたりが、厳しい表情で出迎える。
「ヴァルイー。ご苦労だった」
 ラナシアスが、束の間の相棒だった〈龍〉を労うその背後では、本来の騎龍であるセルーヴァが、人間たちを睥睨している。
 悪事を働いたとは微塵も思っていないことがありありと分かる態度に、アゼーシスが眦を吊り上げた。
「セルーヴァ。お前な。いくら王の騎龍でも、やっていいことと悪いことの区別くらいつくだろう!」
 しかし、声を荒げるアゼーシスを、セルーヴァは一顧だにしない。その視線は、ラナシアスの傍らで項垂れる少女にだけ注がれていた。
「セルーヴァ」
 軽く嘆息したラナシアスが、ようやく〈龍〉を振り仰いだ。
「当面の謹慎を申し渡す。この娘の視界の内に止まること、あいならぬ」
 不服げに真紅の瞳を瞬かせた〈龍〉だったが、主人の命には従った。
 長い首を伸ばし、娘の体に鼻筋のあたりを擦りつけるようにしてから、翼を広げた。
 時ならぬ突風に、誰も、微動だにしない。
「シリア」
「はい。ラナス」
 名を呼ばれたシリンディアが、固い表情で一歩進み出る。
「いま一度、そなたに託して良いか」
「承りました」
 ラナシアスの手が背に触れたとたん、少女はびくりと震えた。
「いらっしゃい。その肩の、手当もしなければ」
 無意識にだろう。痛めた肩を庇っていた少女は、シリンディアの言葉に、物問いたげな視線を向けた。
 その視線の意味も、十二分に承知した上で、シリンディアは何も応えない。
 ふたりが〈塔〉の中へ入ると同時に、アゼーシスはラナシアスを振り返った。
「……どういうつもりか、説明してもらえるんだろうな?」
「そのつもりだ」
 恫喝寸前の声音に、ラナシアスは顔色ひとつ変えない。




 度し難い男だとは知っていた。けれど、今回のそれはまさしく超弩級だ。
 〈塔〉の一室に落ち着き、ラナシアスの決意を聞かされたアゼーシスは、呆れ果てた。
「マレイオルスの娘を、娶るだと」
 正気かと言わんばかりの眼差しに、ラナシアスはただ、肯定の意を示すのみ。
「まったく、おぬしというやつは………!」
 仕えるべき主に対して礼儀も何もあったものではないが、今のアゼーシスの心境からすれば、そんなものに構っている場合ではない。
「無茶なことを言うな。そのようなこと、通るはずがなかろう」
「何故だ」
「なぜと言って。おぬしが分からぬ訳があるまい」
 問うて、ラナシアスの瞳をのぞき込んだアゼーシスは、そこに強固な意志の色を見た。
 深く嘆息し、アゼーシスは尋ねる。
「そこまで惚れたか。何も厭わぬほど──おぬしが?」
「私は」
 アゼーシスの声を遮り、ラナシアスはゆっくりと言葉を紡いだ。
「ずっと、考えていた。マレイオルスとの約束を果たすには、どうすれば良いのか」
 神を滅ぼす一族と、その一族を滅ぼすべく造られた『人間』。
 立ち向かう相手は違えど、共に、滅亡をもたらすために生み出された種族。
 だが、滅すべき相手がいなくなったとき、残された種族はどうなる?
「マレイオルスが、言っていた。『いつか滅びるのが宿命ならば、それも良い。だが、踏みにじられ、滅ぼされるのは真っ平だ』と」
 滅びをもたらす一族は、その務めを終えたとき、自らも存在意義を失うのか。
 だとすれば。
 《獣》を滅ぼし尽くした今、人間もまた、滅ぶべき運命を背負っているのか?
「極論だろう、それは」
「言い切れるか。《獣》は滅びるべきだが、『人間』には生き残る権利があると」
「それは『誰か』が決めることか?」
「その通りだ。それを決める権利は、誰にもない」
 さらりと言い放ったラナシアスに、アゼーシスは瞠目する。
「どちらも、滅ぶべきではない。ならば、共存すればいい。──いや、それも建前に過ぎぬな」
 笑みをこぼし、ラナシアスは朋友を振りかえる。
「私は、あの娘を愛している」
「………」
「あの娘と共に生きたい。私の望みは、それだけだ」




 アゼーシスは、沈黙したまま、ラナシアスを凝視している。
 その視線を逸らすことなく受け止めていたラナシアスは、やがて、友の口元が、ゆるい微笑に形作られるのを見た。
「――良いさ。おぬしの、好きにすればよい」
 やがて紡がれた言葉に、今度は、ラナシアスが黙した。
「どうした。せっかく賛成したと言うのに、嬉しくはないのか」
 意地悪く尋ねるアゼーシスに、ラナシアスはためらいがちに口を開いた。
「……そう簡単に、賛成してもらえるとは、思わなんだゆえな」
「ラナス。おぬし、俺を何だと思ってる」
 苦笑し、アゼーシスは赤みがかった金髪をかき上げる。
「おぬしは昔からそうだ。他人の望みばかりを優先して、己の望みはおくびにも出さん。そうかと思えば、一度決めたら梃子でも動かないときた。まさに度し難い男よな」
「……私の望むことは、本気というには、いつも、何かが欠けていた」
 ラナシアスは、不思議そうに言う。
「ゆえに、本意でない願いを貫くのもどうかと思ったまでだ。別に、己の望みを殺したわけではない」
「あのな。知っているか? 世のほとんどの願いは、不完全なものばかりだぞ」
 呆れたようすで、アゼーシスはラナシアスをのぞき込む。
「だからこそ、望みを叶えたあとになって思い悩む。本当にこれで良かったのかとな。おぬしは、気の回しすぎだ」
「……そうかも知れん」
「まあ、らしいと言えばそうに違いない。短絡なおぬしなど、想像を絶するわ」
 うそぶく友に、ラナシアスも苦笑する。
「すまん」
「謝る必要はない」
 謝罪の言葉をはねつけられて、ラナシアスは目で問うた。
「俺は、おぬしの伴侶としては、あの娘の存在を認めよう。だが、海王妃としては、断固拒否する」
 ラナシアスは、無言で言葉の先を促した。
「俺は、終生、あの娘を海王妃として敬うつもりはない。将来、おぬしらの間に子が生まれたとしても、次代の海王とは、決して認めぬ」
「アゼーシス」
「それだけは譲れぬ」
 頑として言い募る友の、そのしかつめらしい顔に、ラナシアスは頷いた。
「約束しよう。妃としては、迎えぬ」
「陛下の許しを得られても。それでも、か?」
「アゼス。私は、一度口にしたことを違えるつもりはない」
 同じくらい真面目くさった表情で、ラナシアスは約した。
「そうか。では、さぞ、朔王殿下がお怒りになられるだろうな」
 とたん、いっそ楽しげにアゼーシスがそう言い出した。
「……アゼス」
「陛下より、よほど手強い相手だぞ。せいぜい性根を据えてかかるがいいさ」

 
 
 
 
 
Dec. 25, 06

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