─ 須田竹いかだ嬢に捧ぐ ─
〜ただし。未完につき、ご注意ください〜
ラダは迷っていた。
3ヶ月ほど前に成人の儀を終えた彼は、故郷の慣例に従って修行の旅に出た。とりあえず、父の知人であるアレグレム卿を訪ねて王都に向かっているところだ。
故郷以外の地を踏むのは初めての経験で、見るもの聞くものすべてが目新しく、飽きるということがない。旅の足に馬を使うことは許されていないため、陽のあるうちに宿場町にたどり着けないこともたびたびだったが、野宿はさほど苦ではない。初夏というこの季節も幸いした。
とりあえず水さえ確保してあれば、食料は道々狩ればよいし、それ以外に入り用と思われる品は故郷でそろえてきた。ふところの路銀はさして多いとは言えないが、使わなければ減るはずもない。
もともと、彼の故郷では自給自足が原則で、貨幣を使う機会と言えば三月に一度のバザールくらいのものだった。都では貨幣がなければ一日も暮らせないと仲間に脅され、出立前にはさんざん算術を叩き込まれてきたが、今のところは苦労することもなかった。
そんな旅のさなか、立ち寄った宿場町──このミラスの町で宿を取り、食堂で腹を満たしている時に、斜め後ろのテーブルの話が耳に入ったのだ。
その旅人曰く──『剣士なら、一度は立ち寄ってみるべき店だ』と。
剣士のはしくれであるラダが気を引かれて当然の話題だったが、彼はすこしばかり慎重にその話題に耳を澄ませた。
以前にも、同じような宿場町で同じような話題を肴にしている男たちに出会ったことがある。やはり興味を引かれたラダがその店とやらに赴いてみると、そこは娼館だった。
興味がないわけではなかったが、明らかに田舎者と知れる風体で客になるのは非常にためらわれた。何しろそこは、その宿場町でもとびきりと評判の店だったからだ。
たかが街道沿いの娼館と侮ってはいけない。地方の豪族の中には、こうした人目につかない場所にお気に入りの娼妓を囲っておき、お忍びで通ってくる者も多いらしい。細君に見つかると面倒だからだろう。
丸く切られた窓から物憂げに外を眺めている娼妓たちは、それこそ天女のように美しかった。故郷の娘たちとは、明らかに人種が違う。
這々の体でそこから立ち去ったラダは、それ以後、話題の内容をよくよく確かめるようにしている。
「で。どんな店なんだい」
そのテーブルの客はラダと同じく旅装の剣士。だが、ラダよりはるかに靴も外套もくたびれている。旅慣れているふうなのは明らかで、しかも仲間と連れ立っているところをみると、キャラバンの護衛か何かだろう。
「ああ。それがよ、入るのにちっとばかりためらうような店なんだがよ。出してるモノといや、絶品だってぇ話だ。ほれ、おまえも見たことあるだろ。前のキャラバンで、猫耳熊を一撃で倒したやつ」
相方の話に思い当たる節があったらしく、同年輩の男が手を打った。
「ああ! あれか!」
「ものは試しだ。明日にでも行ってみねぇか」
「そうさなぁ……」
ラダとしては、もっと詳しい内容を知りたかったのだが、男たちの話はそこで別なものに切り替わってしまった。
ちょうど食事を終えてしまったこともあり、部屋へと引き上げる。
あまり混んでいなかったせいで、狭いながらも一室を取ることが出来た。足を締め付ける長靴を床に放り出し、寝台に長々と体を横たえる。
修行の旅とはいえ、今はまだこれといった目的を定めていない。
とりあえず今は都を訪ねるのが目的だが、それはあくまで父の希望を入れて道行きに加えただけで、挨拶さえ済ませればそこに留まるつもりもない。
期間は5年。その間に、剣の腕を磨き、故郷に帰る。
ラダの腕はまだ未熟だ。一通りの修練を修めはしたが、実戦になれば、おそらくものの役にはたたないだろう。なにしろ故郷は戦士の里と呼ばれるところだ。
成人男子であれば、一騎当千は当たり前。そうでなければ、戦士としては認められない。
5年の修行を終えて故郷に戻れば、さらなる試練が待っている。その試練を越えることの出来ない男は、もはや故郷に居ることすら許されない。
『剣士としてゆくべき店』。それに『猫耳熊を一撃で倒した』という話も、大いに気になるところだった。
そうして、現在。ラダは迷っていた。
詳しい場所はわからずじまいだったが、それほど注目される店なら、行けばそれとわかるだろう。そうあたりをつけ、武具の売買や修理を請け負っている店が軒を連ねる通りを歩いていると、運良く昨日の旅人たちの姿を目にした。
これ幸いと彼らが出てきたとおぼしき店に近寄ったラダは、とたんに目を丸くする羽目になった。
「なんだ、ここは……?」
呆然と、口から無意識に声が漏れる。
武具を扱っているとはとうてい思えない、花に飾られた店先。
店名は、『不思議粉屋』。
しかも、看板には女文字で『貴方のお命、お護りします』と添え書きがある。一見して、いったい何を商っている店なのか見当もつかない。
だが、少なくとも娼館ではない。それならば、ひやかしで入ってもいいのではないだろうか。
さんざん迷ったあげく、ついにラダは白木の扉に手をかけ、押し開けた。
チリリンと涼やかな音が鳴る。
扉の上部にいくつもの鈴が取り付けられていたのだ。『場違い』という言葉が頭をよぎる。これではまるで、女子供の品を商う店のようだ。
(やはり来るところを間違えたか……?)
冷や汗をかきながらおっかなびっくり店内を眺め回せば、壁につくりつけの戸棚にずらりと並んだ瓶の群。
赤・青・黄色。橙・紫・金銀・白黒。
およそこの世にある色はすべてそこにそろっているような有様だ。中のひとつを手に取ってみると、『ソル』とラベルに書いてある。
「いらっしゃいませ!」
ふいに間近で声がした。
振り向くと、そこに店員らしき少女がひとり。
「やはり…………」
「は?」
ラダのつぶやきを聞きとがめて、少女が首を傾げた。
年の頃は13、4歳。大きな白いリボンで飾った蜜色の金髪、鮮やかな青の瞳。瞳と同じ色の服の上には、これまた真っ白なエプロン。
ひなにはまれな美少女だったが、ラダの好みからするともう少し育った方がいい。
(ちがうだろう)
横道にそれた頭の中身を引き戻し、ラダは少女に向き直った。
「この、『ソル』というのは何だ?」
「はい。こちらは、光の剣のモトでございます♪」
満面の笑顔で少女が答える。
ラダは、もう一度たずねた。
「すまないが、もう一回言ってくれ」
「はい。ですから、光の剣を作り出す粉です。実際にお見せいたしましょうか」
少女はラダの手から瓶を取り上げると、いつの間にか取り出した短剣の刃に、ほんの少しだけ中身をふりかけた。
すると。
ぎょっとしてラダは思わず後じさった。
短剣が、ふりかけた場所を中心にまばゆく輝き始めた。
「このように」
さらに少女は別な短剣を取り出し、光る短剣の刃をもうひとつに押し当てた。
「!?」
ラダの目の前で、短剣の刃がほろりと落ちた。
さっくりと、バターを切るよりもかんたんに。切り落とされた破片を拾い上げ、少女は笑顔で説明する。
「あっという間に光の剣の出来上がりです。ただし、効果は通常の量ですと3撃まで。一瓶ぜんぶですと、そうですねえ……一晩くらいですね♪」
今、目の前で見たモノが信じられない。
驚愕の眼をむき出しにしているラダに、少女はようやく気がついたようだった。
「あら。お客さま。当店がどのような店か、ご存じない?」
ラダが声もなくうなずいてみせると、少女は申し訳なさそうな表情になった。
「それは失礼しました。わたくし、店主のクラリッサ・ラフトと申します。当店の説明をさせていただいてよろしいでしょうか?」
見かけの割にはやけに熟練した店主の口上に、ラダは再びうなずいた。
「ありがとうございます。それではさっそく」
営業スマイルをふんだんにふりまきながら、クラリッサと名乗った少女は店の説明を始めた。
「ただいまごらんになった通り、当店が商っておりますのは、この『粉』でございます。効能は、まあ簡単に申し上げると、剣を媒介にした携帯守護魔法でございますね。用途は色々とございまして、おひとりの旅を好まれる方、魔導師を雇う余裕のおありでない方、女性のひとり旅などに最適のお供と存じます♪
この『ソル』は人気商品でして。たいていの方にはご満足いただいております。そのほかですと、変わったところで『ドゥン』ですとか、『セレネ』ですとか」
「──その『セレネ』というのは何だ?」
「はい。剣士さまは、たいていおひとりで旅をなさっておいででしょう? おひとりの夜のブリョウをお慰めするべく、剣に歌わせることができます♪ 今ですと、話題の吟遊詩人ワイ・カーですとか。ルナ・ロイなども人気ですね。いかがでしょう?」
「けっこうだ」
「あら、残念。では、こちらなどは。『ドペル』と申しまして、自分の似姿の幻影を作り出すことが出来ます。獣などの単純な相手にはとても有効でございますが」
目の前に差し出されたあやしげな紫色の瓶に、ラダはさらに仏頂面になった。
「……いらん」
「まあ、困りましたわ。それじゃ、どんな品がお好みですか?」
小首をかしげてたずねる少女は、文句なく愛らしい。
しかし、次々と勧められる商品の数々は、ラダの好みには合わなかった。──いや、少しだけ『ソル』には興味を引かれたが。
ためしに買ってみるにしても、どの瓶も結構な値段だ。しかし、これだけ長々と説明させておいて何も買わずに店を出るのも気が引ける。
困り切って周囲に視線を巡らせたラダは、ふと、壁の一点に目を止めた。
抜き身の刃をうえに向けて壁に飾られた、ひと振りの剣。
おそろしく古い剣だった。柄頭の意匠からすると、百年は昔の品だろう。
「あれは?」
客の目が、商品を素通りして壁に向かっているのに気づいた少女は、申し訳なさそうにほほえんだ。
「申し訳ございません。あちらは商品ではございませんので」
「ずいぶんと古い品だな」
「はい。曾祖父の形見になります」
「…………手に取ってみても、良いだろうか」
「まあ。それは構いませんけれど。ただの古い剣でございますよ?」
そう断りながらも、少女は丁寧な手つきで壁から剣を外した。
「どうぞ」
両手で捧げ持つように渡された剣を、ラダは受け取って構えた。
今の時代のものと比べると、刀身がかなり長い。それに見合って柄も長いところを見ると、両手剣なのだろう。
だが、バランスが恐ろしくいい。体にしっくりとなじむ。これの持ち主だった少女の曾祖父とは、かなりの使い手だったのだろう。
「銘は、あるのか?」
たずねると、少女は困ったように首を振った。
「さあ。曾祖父とは申しましても、私自身は会ったことがありませんし。こうして飾ってあるのを眺めるばかりです」
「そうか」
名残惜しく思いながらも、ラダは剣を少女に返した。
「……そうだな。さっきの『ドペル』をひとつもらおうか?」
「はい! お買い上げありがとうございます♪」
心底うれしそうな少女の笑顔を見ると、悪い買い物でもなかったかとラダは目元をゆるませた。
「ええと、『フレイム』7本、『ドペル』5本、『ウリマ』3本に『セレネ』1本。んー、やっぱり『ライト』は人気薄ねえ……」
羽ペン片手に本日の売り上げを帳簿につけていたクラリッサは、大きな革張りの椅子の上でうーんと大きく伸びをした。
「それにしてもびっくりしたなあ、あのお客さま。まさかグレンに目ェつけるとは思わなかったわ。ねえ、グレン」
「そうさな」
ゆらゆらと揺れるランプの光の中で、しわがれた声が答えた。
さっきまでは、確かに人の気配のなかった店内に、いつの間にかひとりの老人の姿があった。
真っ白な頭髪、皺深い面。だが、老齢に似合わずがっしりとした体格、ぴんと伸びた背筋は、その老人が若い頃にはひとかどの戦士であったことを伺わせる。
「確かに、我が身を手に取った者は久方ぶりよの」
「どうだった?」
「何がじゃ。戦いの場に赴いたわけでなし」
「それでもよ。剣士の手に握られたのは、あたしが覚えてる限りじゃ20年は昔の話でしょ? 嬉しかったんじゃないの、グレアル・レンティアム」
クラリッサは人の悪い笑みを浮かべる。その顔は、あどけない少女のものでは決してない。
「練達の剣士ならばともかく、あんなひよっこではな。喜びも半減じゃ」
「素直じゃないわね〜。これだから年寄りは」
「…………たしか、おぬしはわしより年長ではなかったか? クラリッサ・ラフト」
「やなこと思い出させないでよ。今のこれ、気に入ってるんだから!」
少女はぷうっと頬をふくらませた。
「ほ、ほ」
「ジジくさい笑い方、やめてよね」
「わしは正真正銘のジジイじゃ」
「かっわいくない! あ、それでね、グレン」
何が『それでね』でつながるのかわからないが、クラリッサは猫撫で声を出した。
「『ライト』の改良、やってみよっかなって♪」
「……………………またか?」
老人の声も顔も、ありありと気乗りしない様子である。
「なによ。今度は大丈夫! いいアイディアがあるの♪」
「あれはおぬしとあまりに属性が違う。あきらめた方がいいと思うがな」
「なにいってんの。数々の失敗が成功を生み出すのよ!」
老人の忠告は右から左に聞き流し、クラリッサは棚から『ライト』の黄色い瓶をひとつ手に取った。
帳簿を片づけ机をきれいにすると、栓を抜いて瓶の中味をそっくり机の上に空ける。
「グレン、『ソル』取って」
「そら」
「ありがと」
『ソル』の色は、銀色だ。
クラリッサはそこからひとつまみだけを『ライト』にふりかけた。
「クラリッサ」
「なあに」
「それは、まずいのじゃあないか」
「あら、どして? 属性は一緒だもの」
「……まあいい。わしは忠告したからな」
言うなり、レンティアムは姿を消した。
「あ、ちょっと」
いきなりいなくなった相棒に文句を言おうとして、『ソル』を取り込んだ『ライト』から目を離した。そのせつな。
「ひゃ!?」
ボボンと鈍い音を立てて、『ソル入りライト』が爆発した。
成り行きで『粉』を手に入れたラダは、そのままミラスの町をあとにした。
ひとり旅というのは気楽な反面、確かに退屈だ。しかも、期日があるわけでもないとなればなおさらのこと。
「『歌う粉』とやらも試してみても良かったか」
ふとそんな馬鹿な考えさえ浮かんでくる。
もちろん、そんなことをするつもりはさらさらない。いたずらに自らの存在を主張して歩くのは、盗賊にさあ襲ってくれと宣伝するようなものだ。たとえどれほど腕に覚えがあろうと、まっとうな人間なら、間違ってもしない。
しかし、たとえば、捕り物などをしているときに、囮にするとすれば良い手かもしれない。
歩きながら『粉』の効用を考えていると意外に退屈せず、その日の夕刻にはかなりの距離を稼いでいた。
町に寄ったおかげで、食料の備蓄は十分すぎるほどだ。少しだけ街道を離れた森の中で火を起こし、腹を満たす。
必要なことをすませてしまうと、ふと好奇心が頭をもたげた。
昼間に買った『粉』。おのれの似姿を作り出すというが、どれほどのものか?
ラダは荷物をさぐり、その小さな瓶を取り出した。
(──よろしいですか)
これを買ったとき、あの少女はくどいくらいにラダに念を押した。
(この『ドぺル』で作り出した幻影は、敵が触れても消えませんが、あなたがじかに触るとたちまち消えてしまいます。それをお忘れなく。それから、一度に使う量はひとつまみまで。それ以上使ってはいけません)
(使ってしまった時はどうなるのだ)
(一概には申し上げられませんけれど。……かなり厄介な事態を招くことは確かです。ですから、くれぐれも! 容量だけはお守りくださいね♪)
『厄介な事態』とやらがどんなものか、少女は口を濁して答えなかったが、まあ、言われたことを守りさえすれば大丈夫だというのだから信用するしかないだろう。
いきなり愛剣を媒体にするのはまずいかと、ラダは腰から短剣を抜き取った。
長剣は、成人の儀を終えてからでないと与えてもらえない。子供時代は、この短剣だけが唯一無二の友だった。
戒め通り、紫の『粉』をひとつまみ、短剣にふりかける。
そのまま待つこと、1分、2分。
「………………。何も変わらんでは…………」
ないか、と言いかけた瞬間、いきなり目の前に人が立っていた。
「!?」
反射的に飛びすさり、長剣を抜き放つ。そうしてよくよく相手を見て、ラダは顎を落っことした。
(…………なんとまあ…………)
そこに居たのは、まさしく『ラダ』だった。
褐色の肌、短く刈り込んだ黒髪。背はそれほど高くはないが低くもない。やや甘さを残した顔立ちは、少年ではないが青年とも言い難い。しかし、よく鍛えられた細身の体躯は、まさしく剣士のもの。
手の中の短剣は、刀身が紫に輝いている。
「ギレイ」
おまえにこんな芸当が出来たとはな。
短剣の銘を呼んで苦笑する合間にも、作り出された幻影は身じろぎもしない。
(俺が触れば消えると言ったな)
少女の言葉を思い出しつつ、ラダは幻影の腕に触れる。
ところが。
「──なに?」
ぺたぺたと、あちらこちらを触る。しかし、いっかな幻影は消えなかった。
「どういうことだ……」
呆然と自分にそっくりな幻影を凝視していると、ふいに幻影が身じろいだ。
閉じられていた瞼がゆっくりと開く。その瞳は、やはりラダと同じ黒。
その瞳の中に、紛れもない意志の光を認めて、ラダは蒼白になった。
ドンドンと表がなにやら騒がしい。
「はぁい。どちらさまですかぁ?」
寝ぼけ眼で応対に出たクラリッサは、扉を開けた瞬間、鬼気迫る表情の剣士に詰め寄られた。
「どういうことだ、これは!!!」
「はぁ?」
相手が2日前に訪れた客だと言うことはすぐに思い出した。グレンを手に取った青年だ。
「どうか、なさいましたか?」
反射的に営業スマイルでたずねたクラリッサだったが、ラダはそんなものではごまかされない。というか、はなから目に入っていないようすだ。
「どうもこうもあるか! 触れば消えると言っただろう! なのに、何で消えない!?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいお客さま。いったい何のお話で……」
言いかけたクラリッサの目が、青年の背後をとらえて丸くなった。
「まあ」
慎ましやかにそこに控えているのは、目の前の青年に瓜二つの人物。
「たしか、お客様がお買いあげくださいましたのは『ドぺル』でしたね?」
確認するまでもない。そうでなくては、双子でもないかぎりここまでそっくりの人間が居るはずがない。
「ああ、そうとも」
「それで、お試しになられた?」
「そうだ!」
憤然とうなずいたラダに、少女はたずねた。
「それで、何をお怒りになっていらっしゃるのでしょう?」
「見てわからんのか!!!」
「──あの」
訳も分からずラダの激高に応対していたクラリッサは、第三者の声にぴたりと思考を止めた。
──今のは?
きょろりとあたりを見回す。朝早いこともあって、周囲に人影はないに等しい。
だとすれば。
ぎぎいっと音がしそうなぎこちなさで、ラダの背後をのぞき込む。
「あの。初めまして。あなたがわたしの造り主……でいらっしゃいますね?」
穏和な笑顔を浮かべた青年に、クラリッサはごくりと唾を飲み込んだ。
「前代未聞だわ」
幻影が固定化するなんて。
「現実にそうなっているのだから、仕方なかろう」
「お気楽なこと言ってないでよ、グレン」
その日。表に『都合により本日休業』の紙を貼り付けたクラリッサは、相棒とともに頭を抱えていた。
部屋の隅では、ラダの幻影が申し訳なさそうな顔で椅子に腰掛けている。
「しかも、その幻影に意志があるなんて」
「仕方なかろう。現にあるのだから」
「もう! すこしは建設的に考えてよ、グレン!」
「だから、言っとるじゃろうが。『仕方ない』と」
「あああ、もう!!! いいわよ、自分で考えるからっ」
ぶち切れたクラリッサは、怒りの矛先を幻影の青年に切り替えた。
「だいたいね! 用が済んだのに、なんでささっと消えなかったのよ!?」
「…………すみません」
「クラリッサ。責める相手を間違っとるぞ」
「グレンは黙っててっ!」
クラリッサがわめくと、幻影がおずおずと口を開いた。
「あのう」
「何よっ」
「あ、いえ、貴女ではなくて。そちらはグレン殿とおっしゃられましたが、もしや、グレアル・レンティアム殿では…………?」
「ほう。わしを知っておるのか」
「ああ、やはり! お目にかかれて光栄の至りです。名剣グレアル殿」
往年の名剣グレアル・レンティアムの剣精は、面映ゆげに口元をほころばせた。
「何の。今は隠居の身じゃ」
「我が名はギレイと申します。貴方と同じハバルの地より生まれし者」
「おう、そなたハバルの産か」
「はい。貴方のお噂は、兄弟たちよりかねがね…………」
「ちょーっと待ったぁ!!!」
和やかに言葉を交わす剣精と幻影の間に、クラリッサは強引に割って入った。
「あんた! なんで名乗れるのよっ!?」
「は……? ああ、マスターが名付けてくださいましたので」
「そうじゃなくて!」
「……どうやら、媒体の剣精と同調したようじゃな。依代があるゆえに、顕現したままに固定したか」
「冷静に分析してる場合じゃないでしょ!?」
脱力したクラリッサは、さらに頭を抱えた。
「あのラダってひとに、なんて説明するのよ……?」
「なにといって。ありのままを言うしかないじゃろう?」
「納得してくれると思う?」
「まあ、そうさな。ギレイ殿次第とは思うが」
老剣精の言葉に、ギレイはきょとんと目を見開いた。
ラダは不機嫌のどん底にあった。
「……それじゃ、何か?」
店の奥の一室で待たされていたラダは、頭上に暗雲をいただいたままでたずねた。
「こいつは、剣精と同化していて。ようするに、消すことは出来ん、と」
「そういうことに、なりますね。この通り本人(本剣?)が『ギレイ』だと名乗ってますし」
鉄壁の営業スマイルもいくぶん引きつり気味である。
「ね、ギレイ殿。あなたが『ギレイ』だと、証明できる?」
「はあ。なんとか」
頼りない口調ながら、ギレイはとつとつと語り始める。
「ええと。わたしの名付け親は、ハバルの鍛冶師、エクダル殿です。兄弟剣に、バレイ、アグレイ、ザレイ、ナグレイ。彼らはすべて、赤の牛の年に生まれた子供たち──マスターを含めて──に祝いの品として贈られました。
私が初めて狩りに出たのは、マスターが10歳の時です。仕留めたのは青耳鹿。報償としてマスターは左の角を得られ、大いに面目をほどこされました。マスターが成人の暁には私はお役目をティエカ殿に譲り、文字通り懐刀として……」
「もういい」
延々と続きそうなギレイの証明に、ラダはうんざりと手を振った。
「ねえ、ティエカ殿って?」
「……こいつだ」
クラリッサの疑問には、ラダがしぶしぶ腰の長剣を叩いて見せた。
「それじゃ、これで納得していただけました?」
「ああ」
壮絶な仏頂面ながら、ラダはうなずく。しかし。
「まったく。とんでもない不良品だな」
ついでとばかりに漏らされた嫌味に、クラリッサは顔を引きつらせた。
「不良品ですって?」
「違うとでも言うつもりか」
「もちろんよ! だいたい、あなたにだって責任はあるんですからね!?」
「なんだと?」
明らかに気分を害したようすで、ラダがクラリッサを見据える。
「そうよ。だって、あなた、最初に『ギレイ』ってこのひとのこと呼んだでしょう!」
「──呼んだ、か?」
これはギレイ(仮称)に向かっての問い。
「はい、マスター」
きっぱりはっきりうなずかれて、ラダは眉をしかめた。
「で。それがどうした」
「それってね。『命名』したのと、同じことなの」
にっこりと。それこそ天使の笑顔でクラリッサは微笑んだ。
「たとえば、『走れ』とか、『歩け』とか、それは命令よね? 仮性魔法は、それに従って動作するわ。でも、『名前』を──しかも、思い切り特異性を持たせて呼んだりしたら。咆哮猿だって自分の名前だって思っちゃうわよ?」
悪いのは、どちら?
口に出すより明確に責任の所在を押しつける少女に、ラダはさらに仏頂面になった。
「方法は、3つあるわ」
とりあえず気を落ち着かせるのが先決、と居間に場所を移しての対策会議となった。
愛用の花柄ティーカップを片手に、クラリッサは人差し指を立てて見せた。
「まず一番簡単な解決策は、剣を折ること」
「却下」
言下に否定するラダに、クラリッサはぴくりと眉間に皺を寄せた。
「なんで幻影ごときのために、ギレイを折らなきゃならん」
「第2に、ギレイ殿をここに置いていくこと。代わりの短剣なら都合するし、ギレイ殿──ああもう、呼び捨てにするわよ。ギレイをここであたしが雇うわ」
「ふん」
「ふんって、あなたね。悪い話じゃないでしょ!? アフターケアまでしようって言ってるんだからっ」
「こいつが言わなかったか? ギレイは、俺への最初の贈り物だ。それとも、ここではそういう風習はないのか?」
いかにも小馬鹿にした口調に、カウントダウンの音を遠くに聞きながら、クラリッサはいやいや口を開いた。
「『この世に生を受けしこの命に、すべての恵みのあらんことを。またすべての災いがこのいとしき命を避けるよう、汝に護りを与えん。この護りは今このときより、この命のもうひとつの命。いつか肉が土塊に還るまで、共に在りし存在。ゆめゆめその身から離す事なかれ』」
「そういうわけだ」
「……仕方ないわね。それじゃ、3つ目。……あたしが、旅に同行すること」
たっぷり1分近く沈黙した後で、ラダはおもむろに茶を口に含んだ。
口にしたクラリッサの方も、これ以上はないくらいの──美少女ぶりが地に落ちるくらいの──しかめ面だった。
「──それしかないじゃろうな」
結局、最初に口を開いたのは、この場での最年長から二人目だった。
ふかいふかいため息をついた後で、クラリッサは勢いよく顔を上げた。
「ええ。『粉』を調合したのはあたしだし。呪文がからんじゃったんなら、とけるのも多分あたしだけ。ただし、今はムリ。時間があれば出来ると思うけど。でも、それまでの間、ギレイをここに置いていくことが出来ないんでしょう。──なら、あたしが一緒に行くしかないじゃないの」
一気にそこまでしゃべり通し、そしてクラリッサはにっこりと笑った。
「そういうわけで。道中よろしくね、相棒」
To be continued.
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