代 | 名 | 生年/没年 | 在位/備考 |
1 | 為信 | 天文19(1550)年1月1日 慶長12年12月5日(*1608年) | 1590〜1607 : 高岡城(のちの弘前城)着工 |
2 | 信枚 | 天正14(1586)年3月21日 寛永8(1631)年1月14日 | 1607〜1631 : 津軽騒動。高岡城築城、城下町整備。弘前と改める。青森港構築。 |
3 | 信義 | 元和5(1619)年1月1日 明暦元(1655)年11月25日 | 1631〜1655 : 若年藩主のため、船橋騒動、正保の騒動など。
25男26女。暗君とも。 |
4 | 信政 | 正保3(1646)年7月18日 宝永7(1710)年10月18日 | 1656〜1710 : 山鹿素行に師事。新田・治水・文武発展。元禄の飢饉。三男は那須資徳。 |
5 | 信寿 | 寛文9(1669)年5月24日 延享3(1746)年1月19日 | 1710〜1731 : 小野派一刀流。書画も嗜む。『津軽一統志』編纂。倹約令、リストラ、遊興。 |
6 | 信著 | 享保4(1719)年2月27日 延享元(1744)年5月25日 | 1731〜1744 : 信寿嫡孫。凶作・噴火・洪水・疫病・地震。享保の改革に沿い、倹約令・正装の簡略化、農民の救済。楠美甚之助を登用。 |
7 | 信寧 | 元文4(1739)年2月27日 天明4(1784)年閏1月2日 | 1744〜1784 : 相次ぐ飢饉、重臣の不正。改革は頓挫。娘は那須資明室。 |
8 | 信明 | 宝暦12(1762)年6月22日 寛政3(1791)年6月22日 | 1784〜1791 : 名君。有能な藩士を登用。藩士の帰農・土着策。倹約令・食糧備蓄・藩校開設・藩法制定・
年貢を検見法に。財政再建。 |
9 | 寧親 | 明和2(1765)年1月17日 天保4(1833)年6月14日 | 1791〜1825 : 黒石藩6代当主。藩校・稽古館創設。寛政律。文化2年10万石。黒石藩立藩。民次郎一揆、相馬大作事件。暗君とも。
楠美則徳に平家琵琶習得を奨励。 |
10 | 信順 | 寛政12(1800)年3月25日 文久2(1862)年10月14日 | 1825〜1839 : 暗君。夜鷹殿様。婚約の散財(寧親)や遊興で借金が膨れ、強制隠居。 |
11 | 順承 | 寛政12(1800)年1月13日 元治2(1865)年2月5日 | 1839〜1859 : 黒石藩9代当主。名君。5か条の倹約令、30か条の経費節減、新田開発・
貯蓄制度・軍備増強・医学蘭学。藩政を再建。
楠美太素に平家琵琶相伝の家を命ず。 |
12 | 承昭 | 天保11(1840)年8月12日 大正5(1916)年7月19日 | 1859〜1871 : 細川斉護四男。洋式軍備の増強に務め、
戊辰の箱館戦争などで功績。
楠美太素に平家琵琶三面を下賜。 |