甲型巡洋艦 古鷹型(古鷹 加古)


 八八艦隊計画の推進によって近代型巡洋艦を多数建造した日本海軍だったが、その主力となっていた5500トン型は、合衆国海軍のオマハ級やイギリスのホーキンス級といった次世代型の大型巡洋艦に比べて戦闘力の劣るものだった。艦隊の護衛艦艇としてはまだしも、偵察や哨戒といった単独任務においては不利になることが明らかだったため、新たに8000トン級の強力な偵察巡洋艦を建造する事になった。これが古鷹型である。

 設計における最大の問題は、8000トンの船体にいかにして強力な兵装を盛り込むかであった。当時建造中であったホーキンス級は19.1センチ砲を搭載する事が判明しており、これを圧倒可能な砲口径として20センチ砲が選択されたが、このような大口径砲を搭載するには8000t級の船体は小さすぎるのではないか、との懸念があったためである。大口径砲の採用によってトップヘビーになることが確実であり、安定性の低下について慎重を期す向きが強かった。そこで、搭載砲門数を六門とし、これを風浪よけ程度の砲塔に単装で搭載、さらに給弾機構の一部を駆逐艦のように人力に頼ることで上部構造物の重量軽減を図ることになった。

 こうして完成したのが古鷹型である。本来は加古が一番艦となるはずであったが、古鷹の方が先に竣工したためにこちらが一番艦とされ、古鷹型と称された。

加古:1941年



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