アメリカの第二次ロンドン会議脱退により、世界は無条約時代へと突入した。そのような情勢の中、新時代の戦術に対応する目的で計画されたのが大和型である。設計案の検討が始まったのは1935年の11月で、アメリカのワシントン海軍軍縮条約破棄通告に対応してのものだった。加えて、第二次ロンドン海軍軍縮会議において戦艦の建造凍結が解かれる見通しだったため、次世代の戦艦について検討を始めたものである。第二次ロンドン会議では、戦艦の排水量を最大45000トンとする案が出ていたため、当初は基準排水量45000トンで主砲40センチ三連装砲四基12門、速力27ノットと言う中速戦艦案や、近江型の拡大版ともいえる主砲40センチ三連装砲三基9門、速力33ノットで防御力を高めた高速戦艦案が検討されていた。しかし、アメリカがワシントン条約に続いてロンドン条約も破棄する意向を示し、1936年1月に第二次ロンドン海軍軍縮会議から脱退したため、会議は完全に流会となり、1937年8月をもって無条約時代に突入することになった。
そこで、次世代の戦艦はまったく条約に縛られないことになり、それまでの建造案をさらに拡大して、主砲を46センチ(18インチ)とする方向で検討が進められた。この決定がいつ頃行なわれたのかはっきりしていないが、将来アメリカが計画するであろう次世代の戦艦に対しても対抗可能な威力を確保する目的から46センチの主砲口径が選択された様である。この時さらに主砲口径を増し、一気に51センチ砲の搭載に走る事も検討されたが、新規開発にかかる時間を考慮した上で条約明けに間に合わない事がはっきりしていたために見送られた。これが46センチ砲であれば、かつて八八艦隊計画において最後のタイプとして予定されていた仮称第八号型巡洋戦艦用開発が行なわれた事があるなど、既に開発における基礎的な資料が揃っていた事が採用の決め手になった。また、新戦艦は同時期に建造が予定されていた新型大型航空母艦との組み合わせで敵空母を叩くことがその主任務と定められていたため、可能な限り高速である事、できれば33ノット超の発揮が望ましいとされている。
こうして1936年9月、艦政本部に対し、軍令部から主砲四五口径46センチ砲8門以上、速力30ノット超の高速戦艦として新戦艦の設計要求が出された。これを受けて、艦政本部では藤本造船少将を主務者として新戦艦の設計が始められた。しかし、その当時すでに仮称一号艦級2隻を含む第三次海軍艦艇補充計画の予算が国会に提出されており、設計は可能な限り急いで行なうよう要請されていた。そのため、設計陣は不眠不休で設計にあたることになり、友鶴事件などによる各種艦艇の改修計画にも携わっていた藤本少将は帰宅する暇もなかったといわれる。このような超過勤務の中で1937年2月に藤本少将が過労で倒れ、残念なことにそのまま帰らぬ人となった。
代わって福田造船大佐が主任となり、1937年8月、ようやく設計案が仕上がると、その後急いで資材の調達などが行なわれ、翌1938年3月29日、一番艦大和が呉海軍工廠で、続く二番艦武蔵は同年5月に三菱長崎造船所で起工された。また、同型艦2隻の建造が1939年度の第四次海軍艦艇補充計画で予定されており、三番艦信濃が建造を行なう予定の大神海軍工廠第三船渠が竣工した同年6月に、四番艦飛騨は横須賀海軍工廠で同年12月に起工した。
大和型の建造にあたっては主要部においても電気溶接が多用されて船体の軽量化に大きく貢献しており、強大な兵装とそれに対応した装甲を備えていたにもかかわらず、基準排水量は62000トンに抑えられている。この船体に205000馬力という強力な機関を備え、最大速力は計画をわずかながら上回る30.2ノットを発揮、航続距離も18ノットで10000海里と長大だった。主砲は46センチ三連装砲塔三基9門であり、これを前部に二基、後部に一基、背負い式に配置している。副砲は最上型以降乙型巡洋艦の標準装備となった三年式15.5センチ砲を、やはり最上型のように三連装砲塔にまとめ、これを計画通り四基12門搭載し、それぞれ艦橋左右後方と後檣左右に装備された。左右両舷に指向できることから副砲二基の中心線上への装備も考えられたが、機関容積の問題からこのような配置になったものである。対空兵装は計画の12.7センチ砲を取りやめ、建造中に実用化された九八式10センチ連装高角砲が中央構造物左右にそれぞれ4基ずつ装備された。これらの高角砲は2基ずつが一組とされ、それぞれを一基の九四式高射装置が制御する方式だった。また、このほかにボフォース40ミリ四連装機銃八基を備えており、竣工時からこの機銃を備えていたのは大和型が最初である。
一番艦大和が竣工したのは1941年8月の事で、二番艦の武蔵は翌1942年初頭に、三番艦信濃は同年秋ににそれぞれ竣工した。なお、武蔵の建造期間が大和や信濃よりも長いのは旗艦設備を充実させることになっていたためで、艤装中に司令部施設の増強や信号関係の改正、通信能力の強化などが行なわれている。四番艦飛騨は1943年初頭に竣工したが、当然ながらマーシャル沖開戦には間に合わず、フィリピン上陸戦から戦闘に参加した。
大和:新造時(1941年)
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基準排水量
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62000t
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62000t
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公試排水量
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70100t
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70100t
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全長
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271.2m
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271.2m
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全幅
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37m
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37m
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機関出力
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205000hp
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205000hp
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最大速力
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30.2kt
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30.2kt
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航続力
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10000海里/18kt
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10000海里/18kt
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兵装
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45口径46センチ3連装砲3基
60口径15.5センチ3連装砲4基 65口径10センチ連装高角砲8基 |
45口径46センチ3連装砲3基
65口径10センチ連装高角砲16基 |