乙型巡洋艦 利根型(利根 筑摩 石狩 黒部)


 最上型に続く条約型の乙型巡洋艦として計画されたのが利根型である。1933年の第二次海軍艦艇補充計画によって同型4隻の建造が認められ、代艦の建造可能な時期に差があることから仮称第五中型巡洋艦(利根)と仮称第六中型巡洋艦(筑摩)は1934年12月に、残る仮称第七中型巡洋艦(石狩)と仮称第八中型巡洋艦(黒部)は翌1935年の10月に相次いで着工された。このときは最上型に準じて6.1インチ砲15門、12.7センチ高角砲8門、魚雷発射管12門で速力37ノット、航続距離18ノットで10000海里という性能が要求されており、後の航空巡洋艦的な面影は見られていない。もっとも、これらの性能を満たすには最上型が備えた9500トン級の船体でも不足気味である事が後に明らかになっており、それよりさらに排水量の少ない本型では不可能であった。

 加えて、1935年3月の友鶴事件によってそれまでの建艦方針に疑問が提示され、同年8月にはアメリカが軍縮条約の破棄を通告してきたことから、兵器行政全般にわたって無条約時代を見据えての見直しが図られた。これは当時2隻が着工していた利根型にも適用されており、この時期に航空巡洋艦的な設計に改められている。

 翌1936年軍令部より提示された本型への要求は、15.5センチ三連装砲四基、12.7センチ連装高角砲五基を備え、水上偵察機を6機搭載するものとなっていた。また、竣工時には条約の期限が切れているものと予想されたため、排水量に関する規定は緩和された。その後、高角砲は後部中心線上に備えられるはずだった1基が除かれている。これらの改正が加えられたため、各艦とも進水まで3年かかっており、竣工はさらに1年後のことだった。

 第一陣として利根、筑摩が竣工したのは1938年末から1939年初頭にかけてのことである。基準排水量は10210トンに増大しており、これを生かしてかなり充実した装甲を施すに至った。これには、主砲が前部に集中されたことにより、弾薬庫に対する集中防御が可能だった事も大きく影響している。また、機関出力は152000馬力で最上型よりも増大しており、その結果要求の37ノットには及ばないものの最大速力は36.5ノットとなった。その一方で航続距離はいくらか減じ、最上型と同様18ノットで9000海里とされた。高角砲は12.7センチ連装砲四基で、雷装も三連装魚雷発射管四基、魚雷24本の搭載となっており、これらは最上型と同じである。

 本型最大の特徴として、主砲の15.5センチ三連装砲塔は4基が全て前甲板に集中され、後部甲板は水偵の搭載用に開放されていた。この結果、露天繋止ながら最大8機の水偵搭載が可能となったが、駐機および整備用の空間に余裕を持たせるため、水偵の搭載機数は5機とされた。しかし、第二砲塔を一段高めて第三、第四砲塔を後方に向けた主砲配置としたため、前方30度に対して第一、第二砲塔しか射角が取れず、前方投射量の不足が指摘された。また、最上甲板は魚雷発射管後部でカットされ、それより後方は上甲板とされたため、上甲板上に搭載された水偵の運用に際して不満が残るものだった。

 そこで、当時艤装に入っていた三、四番艦の石狩と黒部では、これらの点の改正が実施された。主砲の配置は第三砲塔を一段高める形式となり、最上甲板も艦尾まで延長されて航空作業甲板は完全に同一レベルとされた。これによって航空機の運用がより効率的に行なえるようになり、水偵の搭載機数も最大で10機、通常でも8機となった。なお、最上甲板の延長工事は1939年末に利根と筑摩でも実施されている。なお、石狩と黒部は、特に主砲の配置が違うことから改利根型とも称され、これら2隻は1939年9月にそろって竣工した。

 利根型4隻の竣工によって、日本海軍は条約型巡洋艦を6型式計20隻保有したことになり、同時に偵察能力も大幅に強化された形になった。

 満ソ海戦時には利根、筑摩が最上甲板延長工事の直後であったが、4隻で第八戦隊を形成しており、第二艦隊に編入されていた。その後、第五艦隊に編入されて、主に北方海域で活動中だったソ連艦隊の索敵にあたったが、第一航空艦隊の編成とともに同艦隊に引き抜かれた。ペトロパブロフスク・カムチャツキーやニコライエフスクなどに対する航空攻撃では、母艦攻撃隊の先陣を切って搭載水偵が偵察行に赴いている。ウラジオストク上陸作戦においても石狩の搭載機が真っ先に敵陣偵察を敢行しており、ここに空母部隊の目としての役割が定着したと言えよう。

 ウラジオストク上陸作戦の成功後、第一航空艦隊の解体に伴って第五艦隊に編入され、改装に入った最上型に代わり日本海の制海権維持にあたった。最上型の改装が終了すると、続いて利根型も改装に入り、高角砲を九八式10センチ連装高角砲に換装し、ボフォース40ミリ四連装機銃の新設など、対空兵装の強化が行なわれた。

利根:新造時(1938年)

石狩(石狩型):1940年

新造時
開戦時改装後
基準排水量
10210t
10210t
公試排水量
12720t
12720t
全長
201.6m
201.6m
全幅
19.4m
19.4m
機関出力
152000hp
152000hp
最大速力
36.9kt
36.9kt
航続力
9000海里/18kt
9000海里/18kt
兵装
60口径15.5センチ3連装砲4基
40口径12.7センチ連装高角砲8基
61センチ3連装魚雷発射管4基
60口径15.5センチ3連装砲4基
65口径10センチ連装高角砲8基
61センチ3連装魚雷発射管4基


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