伏美岳〜ピパイロ〜1967直下
〜なかなか届かない1967〜

平成20年5月24〜25日 テント泊 同行者: 札幌やまびこ山友会

 さて、いつもいつも前進しない日高の稜線歩きなのだが、今回は「やまびこ」の頼りになる仲間と共に伏美岳からピパイロ岳を経て1967峰に行く計画をたてた。Tさん(男性)はまだピパイロは未踏であり、女性であるOさんは、戸蔦別からは既に歩いたが、伏美からはまだないという。

 天気予報によれば二日目があまりよくなさそうだ。これまた、1967は諦めなければならないかもしれない。それを念頭において山に向かうことにした。
 前日の夜に伏美小屋に到着、すでに1階では1パーティがすっかり出来上がっており、ぼくらは2階にあがる。もう夜も遅くなっており、すぐに寝る準備をしてシュラフのなかに入る。下では「明日は妙敷山にするか」といいながらまだ宴会は続いていた。

 早朝、我々三人は小屋を出て登山口から出発する。天気は上々だ。まずは伏美岳までは4時間をみる。伏美岳からピパイロのテン場までも4時間、合計8時間のアルバイトである。
 やはり、雪は少なく夏道はどこまでも続く。やっと1500mぐらいから雪渓歩きとなる。これでは伏美岳からの稜線も雪は少ないだろう。

 いつもの妙敷山を写すスポットに着く。ここらも夏道が出ており気分は夏山登山である。妙敷山までの稜線はかろうじて雪がつながっており、まだ歩いていくことができるだろう。



 正確なTさんの歩きにより、予定通り4時間で伏美岳ピークに着く。何時来てもここは素晴らしい日高の山々の眺望スポットだ。ピパイロも直下までは雪があるようだ。
 すでに伏美岳のピストンの登山者もまったりとしている。あの山この山と山座同定しながらのんびりとするにはうってつけの場所だと思う。山の初心者も晴れた日にこの山に来たら、病み付きになるのは間違いないと思う。



 伏美岳を下り、稜線を雪を求めて歩こう・・・としたが、やはり少ない。雪の上を歩いたり、夏道に戻ったり、かえって煩わしいかもしれない。昨年、息子と来たとのは6月に入ってからなのだが、全然少ないのだ。この分では雪のうえでテントを設営する適した場所を見つけるのは難しいかもしれない。



 淡々と歩き続けピパイロが近づいてくる。TさんもOさんも体力充分気力溢れる人だし問題もなくすすんでいく。ただ、ひとつだけ・・・休憩したときにぼくはザックに腰掛けたのだが、座る場所の選定を間違えたらしい。かき氷作るために持っていったミルクのチューブが破裂してしまった。さいわい、レジ袋の中に入れておいたので被害は拡大しなかったが、それでも、ヘッドランプやらなんやらミルク漬けになってしまった。やっぱり、もっと早く雪でカキ氷つくればよかったなぁ。

 昨年、テン場とした1730m地点は雪が少ないために傾斜がきつくなり、ならすこともできない。そのため、Tさんの希望もありさらにピパイロピーク近くを目指すことにした。その頃から風も次第に強まりピパイロのもともとのテン場は吹きさらしになるため、そこは避けることにした。ピークから下のハイマツが始まるあたりの雪の上にテントを設営することにした。
 時間的にはまだまだ早く、荷をおいてピークに行くこともできたがやめた。沢というか谷間というか一帯にはガスに覆われており、けっこうな速度で動いていた。やはり、明日は・・・。



 芽室岳やトムラウシ山側もひっきりなしにガスは昇る。



 テントのなかでは、夕方にはまだ時間があるのだが、ビールを飲んだり、焼酎を飲んだりとそして食べたりと、のんびりと過ごす。ところが、いつのまにかぼくの腹具合が悪くなり、夕日を精一杯、お尻に浴びて用を足すも、何故か空砲が響くのみ。でも、こういうときは辛いんだよね。
 Oさんが作ってくれた夕食も満足に食べることもできず、どうすることもできず時間がたつ。おまけに今回装備の手抜きがあったのだ。まずはテントシューズ。何回も外に出るのはやはりテントシューズなしでは辛いものがある。おまけにテントの中でも足が冷たい。一応、フリース素地の簡易シューズをもってきたのだが、北海道の積雪期には役にたたない。
 また、テントマットが薄すぎて寒さをシャットアウトできない。厚さ0.2mmを2mmと勘違いしてもってきたものだから、言うことなし(@_@;)。いやはや、みんなには迷惑をかけてしまった。
 あと、テント設営の際は、スコップは2本あったほうがいい。広いテントであったせいもあり、雪を平坦にして、場所をつくるのにそれなりに時間がかかったのである。

 二日目の朝はすぐにやってきた。まだ、天気はもちそうだ。幌尻や戸蔦もすっきりと見えていた。
しかし、予報は間違いないだろう。5時には出発する。



 テン場からピパイロピークまでは30分とかからない。初めてピークを踏むTさん。ザックに隠れてしまうOさん。幸せなひとときでもある。でも、まだこれからなのだ。
 そして、ぼくもこのピークは三度目となるのだ。そろそろ、ここから前に行きたいね。1911の肩までは昨年行ったけれど。



 ところどころに、つくも草の群落がある。Oさんに教えてもらう。こんなん厳しい環境のなかで花が咲くのだからすごいことだ。よく見ると、あちこちにあるのだ。これまではわからなかった。
 1967も間近に迫ってきた。しかし、この頃から風はいっそう強まってきた。はたして、どこまで行けるだろうか?



 幌尻方面から猛烈な速度で雲が寄せてくる。瞬時に雲は谷を越え、降る。撤退という文字が頭をよぎる。今回のリーダは僕だから山行の責任は僕にある。あの雲の早さでは1967ピークには行き着けないだろう。雲と一緒に猛烈な風と雨がやってくるだろう。1967への登りは雪渓歩きとなる。風で身体のバランスを失い滑落したら怪我ですまないかもしれない。なにしろ、雲の動きが早すぎる。様子を見ながら、どこで決断すべきか・・・。



 そうこうするうちに、1967の直下までたどり着いた。しかし、もう限界だろう。歩いていても風は強い。レインの上下を着ることにした。身につけるや否やポツポツ雨が落ちてきた。と、ガスに覆われて1967もまったく見えなくなった。ここが撤退時だ。ほくらは引き返し始めた。
 写真は見えなくなるほんのわずか前のときの写真だ。



 こうして、今回も1967峰のピークを踏むことはできなかった。けれど、そのうち、また、チャンスがあるさ。
 同行の仲間に感謝!
                             The End  


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