伏美岳からピパイロ目指して(2)

〜残雪の稜線を歩いて〜

平成19年6月2日〜3日 札幌早朝発 同行者: 息子
 二年前にピパイロを目指したが、結局途中で諦めてしまった。今回は必ずやピークを踏もうという意思を固めて挑戦することになった。しかも、テントを担いで、あわよくば1967峰までという目論見である。
 ぼくの右膝のことを考えて雪の多く残る6月の初めとした。雪の上を歩くほうが膝には優しいからである。おまけに縦走装備だから重さもある。ただ、雪が豊富にありそうだから水の心配はなかった。

 本来は金曜の夜に札幌を出る予定だったのだが、コンサートを見に行く予定が入ったらしく結局土曜の朝となった。1967峰は難しいかもしれない。
 札幌を出たのは朝の5時を過ぎていた。伏美の登山口は8時50分に着く。十勝平野は濃いガスに覆われていたが、この登山口はガスの上につき抜けすばらしい青空が広がっていた。下界のガスもそのうち、消えていくだろう。

 9時20分から歩き出す。さすがに荷物は重たい。久しぶりの夏道歩きに身体全体から汗が噴出し、心臓の鼓動が早くなる。しかし、まだこのあたりでは弱音は吐けない。一歩一歩ゆっくりと歩む。
 標高千mあたりから雪がぼちぼち現われはじめ、夏道の隣に雪渓が続くようになる。我々も1400mあたりから゛雪渓歩きにきりかえる。
 それにしても暑い、そして斜面は急だ。周囲の山々がすっきりと見える。近くはトムラウシ山、妙敷山が目に入る。
 写真を撮ると称して小休憩を頻繁にとる。なにしろ、1400mからピークまでの距離はたいしたものではないのだが、斜度がきつい。腕時計の高度計を見ながら確実にあがっていくのを楽しみにして歩く。
 妙敷山が隣に見えるところまでくると安心するものである。ピークが間近だからだ。

 十勝幌尻岳もすっきりと見える。360度すばらしそうだ。が、ピークまでわずか200mあまりになると、歩くスピードはいっそう鈍る。亀の歩みとなる。その一歩がつらい・・・。でも、歩かなければ着かない。仕方ないから歩く。

 伏美ピークに着くと、やはりテント担いで昨日今日とで1967峰まで行ってきたという単独行の男性に会う。
 話を聴くと昨日は伏美からピパイロまでは雪の上の歩きもあって4時間かかったという。テン場はさらにピパイロの肩としたので都合5時間かかったそうだ。
 我々がこの伏美ピークに着いたのは13時15分。果たしてどこまで行けるだろうか?

 ピパイロの方向もすばらしい青空。これで行けなかったら、なんとする(^^♪
大休憩の後に14時に出発する。これから3時間なら2年前に行動停止した1730峰までしか行けないだろう。おまけにぼくはもうバテバテだ。
 さすがに雪はたっぷりと残っている。夏道よりは雪の上のほうが歩きやすいと思い、雪渓上を歩くスタイルにする。とにかく、コルまでひたすらに歩くことにする。

 それにしても、この長い稜線を重荷担いでの歩きは消耗することはなはだしい。しばらく体調不良のせいで歩いていないつけが確実に影響していると感ずる。息子も「大丈夫かい?」と心配してくれるが、最悪の場合でもテン場を1730峰にしたいという。たしかに、1967峰まで行くのなら、ピパイロの肩かピークの下のテン場までは行っておかねばならないだろう。
 でも、ぼくの体力がもたなそうだ。よれよれになりそうになりながら、1730峰の斜面をあがった。そして、17時となったので雪を整地してテントを設営することにした。

 この時期は日が長くなっているので、夕焼けを見ながら水つくりを始める。明日、飲む分までをつくらねばならない。ガスカートリッジをもう一つもってきたら良かったと思う。

 日中は暑かったものの、さすがに雪の上だ。日が沈むと急速に寒くなる。しっかり着込んだ息子は雪の上に座りながらビールを飲み景色を見ている。
 すっかり暗くなると空には満天の星、そして十勝の街の灯りがきらめく。そのうち赤い月が昇りはじめ、次第に黄色くなりながら周囲を淡く照らし始める。夜は更けてゆく。

 朝もすばらしい天気である。山が美しい。

 それにしても、今日はどこまで行けるだろうか?
仕度をしてピパイロへ登り始める。

 この雪渓の斜面を登りつめたら、ピパイロはもうすぐだ。雪は消えすっかり夏道の雰囲気となる。まだ、早朝なのに陽射しが強い。
 テントにシュラフその他置いてきたから、荷は軽い。けれどもぼくは疲れが残っており、足取りが重たい。
 7時10分にピパイロピークに着く。あらゆる方角に山は光っている。

 十勝連峰が遠くに見える。すみずみまでくっきりと見える。
ぼくにとっては二度目のこのピーク、息子は初めて踏む。
 ここからピパイロの肩1911mまで足を伸ばすことにした。ゆっくり歩いて40分で着く。
ここからの眺望もすばらしい。特にカムエクがよく見える。

 ぼくはここで充分だった。というか疲れもあり無理をしたくなかった。もちろん、1967峰まで行って戻ってきても時間的には余裕はある。しかし、息子には諦めてもらいまた次の機会を狙うことにした。
 今度は北戸蔦から歩いてこよう。
(了)


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