遭難救助訓練 事次第・・・

〜連盟の訓練で遭難者役となりました〜

平成20年2月2〜3日 迷沢山周辺 参加者: 連盟加盟山岳会
 ぼくの所属している山岳会「札幌山びこ山友会」は、全国組織の日本勤労者山岳連盟(通称、労山)に加盟している。そして、北海道の道央地区の各加盟山岳会は、「北海道道央地区勤労者山岳連盟」(ここでは、通称、連盟と呼ぼう)という地域組織を作っています。
 連盟は従来から山での様々な事故に対して、自分たちの組織で救助活動ができるよう様々な対策を講じてきましたた。たとえば、連盟の組織のひとつとして、遭難対策部があり、また、救助隊があります。そして、これらの部署が毎年定期的な訓練を行ってきております。
 今回、ぼくが参加した遭難救助訓練もその一環としてありました。
 「迷沢山に向かった二名のパーティが下山途中、アクシデント(?)により、一名が怪我しビバークを余儀なくされた〜」という想定のもとに、救助に向かうというストーリーでした。
 参加した山岳会は・・・実名でもいいでしょう・・・札幌中央勤労者山岳会、札幌北稜クラブ、札幌登攀倶楽部、ラリーグラス、札幌ピオレ山の会そして札幌山びこ山友会合計21名の参加でした。
 で、山びこから参加三名のうち、matuok氏とぼくはビバークを余儀なくされた遭難者の役。前日の2月2日から山に入ったのです。
 その日は次の写真にもあるとおり、すばらしい天気の日で、よりによってこんな日に遭難しなくてはならない「幸せ」にmatuok氏もぼくも心打ち震えるのでした(ーー;)



 平和の滝に集合午前7時45分の予定がぼくの遅刻で8時10分過ぎ。どうも、この日の朝に食べたヨーグルトが良くなかったようで、何回かトイレに駆け込んだため遅れてしまったのでした。
「なんか、ヨーグルトが腐っていたようで、腹具合悪くて・・・」とぼくが弁解すると、
「もともと、ヨーグルトは腐った食べ物だよ」とm氏。
 なるほど、そういえばそうだなと思う。まぁ、腐りすぎていたんだだろうと納得?して準備にとりかかる。
遅れを挽回してほぼ予定どおり、8時半ちょい過ぎに出発したが、久しぶりの重荷に足は重たい。しかも、なるべく、お尻に圧をかけないよう慎重に歩く(~_~;)



 今年の山は雪が少ない。旧送電線の下も写真を見てのとおり、ブッシュが出ている。これでは滑り降りるのもけっこう辛いかもしれない。訓練の救助用のソリにはm氏がのることになっているが、この様子では替わってもいいかなと密かに思う。しかし、その途中でトイレタイムをとったりしたら救助隊の皆さんが”ふんがい”するのは目に見えている。

 m氏は快調なペースで登っていくが、ぼくの方は”怪腸”なため、ゆるりとしか歩けない。いや、体力がかなり落ちている。そんなことでm氏も迷沢山ピークに行くのは諦めたようだ。すみません・・・。

 標高760あたりで雪洞を掘ることにした。が、雪が少なすぎる。m氏がゾンデで積雪を測るが1m60cmがせいいっぱい。これは無理だ、ということで、変形イグルーを作ることに変更。しかし、ぼくの設計ミスで直径を大きくとりすぎてしまい、次第にテンションがさがってゆく。おまけに、掘っていくと笹が出てきてout!
 エネルギーがあまりあまって、物足りなさそうなm氏は縦穴から横穴掘りに転向。それで、できあがったのが次の写真。これなら、ビバークにもってこいと喝采した。が、そんな寒そうなビバークはもとよりする気がなく、テン泊に決定したのでした。
 で、ここの縦穴と横穴はウ○チ場として使うつもりになりましたが、そもそも、両足広げて2mもあるところで、ぼくたちの足がそんなに長いはずもなく、翌日には埋められる運命となったのです。



 それにしても、午後1時半ぐらいだったでしょうか?単独のご婦人が登ってきて迷沢山方面に向かわれた様子。どうも、ぼくの常識とは違います。また、午後5時頃だったでしょうか、人の声が聞こえました。もう我々はテントの中にいたため、その確認はできなかったのですが、その声が下山のときのものだとしたら、登山口には暗くなってからの到着でしょう。

 テントの中に入ったぼくたちはもう何もすることもなく、夜6時過ぎにはシュラフのなかに潜り込んでいました。その前に外で小用を足し、翌日の朝の7時過ぎまで寝ていました。そして、小用は朝8時過ぎでしたから、累積睡眠時間は12時間(あまり、達成感はなかった)、トイレに行かない間隔14時間と、おそらくぼくの人生のなかで驚くべき日(?)だったのです。

 次の写真は2月3日の朝のテン場の様子。


 朝の凛とした寒さと鉄塔を支える手稲山を前にして、訓練の当日が始まりました。



 救助隊はおそらく10時頃に到着するだろうと考え、のんびりとテントを撤収しました。救助隊に発見されないように、使わなかった雪の横穴に隠れていようという魂胆だったのですが、なんと、人が一人、二人と送電線側からこちらを見ているではありませんか。見つかってしまったのです(ーー;)
 たしかに、遭難者は早く救助隊に発見されたい、助けてもらいたい、というのが当然なのですが、こちらとしては、せっかく、遭難者役を仰せつかったのですから、救助隊には充分に働いてもらいたい、探しまわってほしい(*^_^*)と思っていたのです。遭難者を見つけることができなかった、というストーリーもなくはないことでしょう(@_@;)

 救助隊は2チームにわかれて捜索していたとのことでした。ぼくたちを発見した旧送電線チームとまだ発見されたことを知らないでもくもくと歩いている新送電線チームです。次の写真はぼくたちを発見したチームで、まだ下からもメンバーが登ってきつつあるのです。



 新送電線チームもほどなく到着し、いよいよ、搬送の準備にとりかかります。
次の写真のソリにm氏が横たわることになります。このソリは中央部から二つにわかれ、それを接合すると一人の人間が余裕をもって寝ることができるのです。ソリに書かれている表示を読むと耐荷重は270kgで、ヘリコプターからも吊り下げることができるようです。
 


 m氏が横たわっています。ソリの上にシート、エアマツトを敷き、シュラフとシュラフカバーの中に入り、ツェルトでくるまれています。動いているのと違い、ただ横たわっているときは寒いものです。後日、m氏に感想を聞いてみると、寒くはなかったが、スキー兼用靴をはいた両足が動かすことができないため、次第にだるくなったとのことです。血行が妨げられたということです。
 また、急斜面を除いて斜面感覚はそう感じなかったようです。



 搬送するときは雪が侵入してくることもあって、空気穴を確保しつつツェルトで顔も覆ってしまいます。もちろん、勝手に”歩きださないように”(~_~;)ベルト等で固定してしまいます。かなりの数のシュリンゲ、カラビナが必要となります。当然、ザイルも。
 このソリを7人で引っ張ることになりますが、全員スキーを脱いでつぼ足となります。また、道がついているわけではないので、数人の先行隊がルートを開削しながらソリを曳きやすいところを選んでいくのです。



 ソリの搬送隊はスキーを脱いでいますから、そのメンバーのスキーを別の隊が運ばなければなりません。なかには、一人で他の二人分のスキーを背負う方もいます。



 快調に歩いていますね。



 急斜面では、ソリが勝手に滑っていくこともありますから、”ビレイ”しなければなりません。ぼく個人としては、ソリの滑走能力を確認するいい機会だと思ってましたが・・・\(^o^)/



 このような急斜面では、慎重に降ろしていきます。もちろん、ザイルで上部から確保しています。



 そろそろ、発寒川のスノーブリッジに近づいてきました。そこを越えれば林道となり、搬送隊の緊張もいくらかやわらぎます。



 このあと、平和の滝の登山口までソリは搬送されました。今回はルート上のブッシュも出ており歩きづらくて、各隊もたいへんだったと思います。
 しかし、このような取り組みを通じて、参加者メンバーの、そして各山岳会の安全に対する意識づくりと実際の体験に基づく自信が養われていくのではないでしょうか。
 冬山の美しさ、神々しさは言うまでもないことですが、同時に怪我や事故が起きる可能性もいつでもあるわけです。そして、それを確実にみとり、対策を講じていくことは至極当然のことのようにも思えます。しかし、実際にそれを実施しているかどうか・・・。ここに大きな分水嶺がひそんでいる、そういっても過言ではないと思うのですが・・・。
                              (了)


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