上ホロカメットク山雪崩遭難事故
〜備忘録として〜

平成19年11月23日  同行者: 日本山岳会メンバー
 平成19年11月23日(土)・・・この日、日本山岳会の上ホロカメットク山雪上訓練に向かう途中、Zポイントから安政火口寄りで雪崩に巻き込まれ、11名全員が埋没し、そのうち4名が死亡、1名が重傷を負うという大きな事故に遭遇した。僕はそのなかの一人だった。

 写真は三段山方面から見た夏の化物岩〜安政火口付近である。右手下に富良野岳に続く登山道が見える。

はじめに

 今回の訓練は日本山岳会の定例の冬山訓練であり、当初北海道各地から16名の参加者が予定されていた。

どのような訓練を実施するかについては、まず、冬山の寒さと雪に慣れること。1.つぼ足での歩行訓練 2.アイゼン歩行訓練 3.ピッケルの使い方 4.滑落停止訓練などであった。装備等については、「参加者名簿」に冬山一般装備と記載されている。

 一日目は訓練で二日目は状況に応じて、カミホロカメットク山か十勝岳、もしくは三段山に登る計画だった。

(以下のレポートでの時間は、はっきりとしたものでないものもある。今回、肘まで長さのミトンを使用したため、時計を見るのがとても億劫だった)

11月23日(金)

1.出発〜雪崩がおきる前までの経過

 11月23日朝6時半にJR森林公園駅前で、Sさん、Kさんと待ち合わせる。妻の運転で待ち合わせ場所に着いたが、そこにはKさんが来ていたが、初対面の人ですぐにはわからなかった。

 Sさんの車に同乗し、Sさんの奥さんや妻に見送られて出発。車に降った雪を甲斐甲斐しく払い除けていたSさんの奥さんの印象が目に浮かぶ。

 この時点でSさんのお兄さんが風邪をひき熱があるため不参加になったこと。また、もう一方参加する予定だったが取りやめになったことを聞き、この車には3名が乗車し参加となった。

 江別西から高速道路に入り三笠インターで降りて、桂沢湖経由で富良野に向かう。車中ではSさんの仕事の話し、それも前日まで出張していた保険関係の予算陳情(?)の事や、山のこと等様々な事が話しとなる。

 三人のなかでただ一人タバコを嗜むSさんは、そのたびに「すまない・・・」と言いながら、窓をあけて美味そうに吸っていた。

 いろいろと話が弾み、途中の富良野方面へ右折する分岐に気がつかなくて通り過ぎてしまう、という事もあった。

 上富良野のセブンイレブンで各自買い物をする。集合時間の午前10時までにはまだ1時間ほどの余裕があった。

  吹上温泉、白銀荘方面との分岐を過ぎ陵雲閣を目指していると、上からロータリー式除雪車がくると先導車から聞き、カミホロ荘の駐車場にてしばらく待っていたりしたが、それでも集合時間の30分前の午前9時半に陵雲閣駐車場に到着した。まだ、ほかのメンバーは来ておらず、しかし、準備にとりかかる。ほかのメンバーを待っている間にも、何パーティかは出発していく。

 天候は時折小雪が降る状態であり風はなかった。準備中にSさんがビーコンを装着するのを確認し、「ビーコンは装着しますね」と言い、僕も装着する。

 そのうちに参加者が揃うが、出発は10時半よりも遅くなる。出発前に簡単なミーティングをする。。内容としては、@冬山の寒さにまず慣れること、A先週、雪崩が発生しているので無理をせず注意すること、B天候がおもわしくないため、早目にきりあげて戻り、温泉に入ろうということになった。この場では装備関係についての確認はなかったと記憶する

 この間にも何組かのグループが到着している。そのなかに、札幌山の会のパーティもいた。

 午前10時40分頃、12名(山スキー11名、スノーシュ 1名)が出発する。すでに何組かが向かっているようで、トレースがしっかりとついている。我々はさらに道を広げようとトレースの左右をラッセルしながら歩く。これは帰りにスキーでボーゲンで滑りやすいようにというものからだった。

 風は弱いものの雪の降り方が多少強めになってきている。訓練場所ではさらに風もあるだろうと予測する。かわるがわるラッセルしながらも、会話では、早く戻り、温泉に入ろう、ということになる。

しばらく歩いているうちに、多分30分程度だと思う、スノーシュで参加したYさんが雪の下のハイマツに足をとられはまったりして、歩行がかなり困難となり途中で引き返すことになった。

 夏道を歩いていく途中、何組かが引き返してくる。そのうちの一組は、D尾根まで行こうとしたが引き返してきたとのこと(「D尾根まで行ったが、・・・」かもしれない。記憶違いがあるかもしれない)。

 僕は概ね、道の左側を歩き、SYさんとときどきラッセルを交代した。SYさんの笑顔がいい。

膝まである雪に悪戦苦闘しているといつの間にかするっとSYさんが出てきて前に行ってしまう・・・

何度こんな事を繰り返しただろうか。

 (多分、11時40分頃)火山監視カメラ塔の下方で休憩となる。ここでスキーをデポし、つぼで歩くことになった。リーダーからも、アイゼンはまだ装着しない指示がある。

 僕は周囲にいたTさん、KKさんたちと会話していた。Tさんは小樽赤岩や沢登りに挑んでいきたいとその意欲を語っていた。休憩らしい休憩もとらないうちに先頭が出発する。「もう、出発するの〜」という声を覚えている。その前に時計を確認すると12時5分ぐらい前だったと思う。後から気がついたことだが、僕の時計は10分以上進んでいたから、実際には11時45分前だったのかもしれない。

 この先から通称Zポイント〜ヌッカクシフラヌイ沢に下るのだが、そのときストックを持たないで歩きだしたため後ろから呼び止められ、ストックを取りに戻った。そのため準備が遅くなり僕が最後尾となった。追いつくと、雪庇を崩しながら降りてくるようにという指示を聞いている。前を歩いていたKさんが崩しながら降りる。僕もその後に続く。

ストックはワッカには手首は通さず、ただ握るだけの状態である。

 風もあり雪も降っており視界がよくない。しかし、見える範囲の化物岩と三段山方向の斜面には雪もついていない状況だった。

上方がガスに隠れて見えない。けれども、このあたりの雪もそれほど積もっていないようで、新雪も約30cmぐらいか・・・。

 最初、先頭のラッセルをUさんがしていたが交代して最後尾にくる。そのうち、Nさん、KMさんも後ろに。このうち、どなたかに「ラッセル、お疲れ様でした」と言った記憶がある。それまでは、すっかり忘れていた。(このあたりはどの順番か記憶が定かではない)僕は後ろから、三〜四番目だったと思う。

 僕の前には女性が数人いたと思う。どんな話だったか、前の女性数人と会話した記憶がある。

雪が降っており、先頭はやや離れていて、体型から見て、SさんやSYさんだと思っていた。

 三段山側に見慣れた斜面があった。そこは、札幌山びこ山友会メンバーとともに氷雪訓練をしに来たときに、アイゼン歩行、滑落停止訓練そしてスタンディング・アックスビレイの練習をしたところだった。

 視界がよくないが左右の斜面を見ながら歩く。状況は変わらず上は見えない。積雪も先ほどまでの夏道のように深いという感じもしなくまたほとんど傾斜もなく歩きやすいと思っていた。

 歩いていくとデブリがあり、後ろからリーダーたちの話声がちらと聞こえてきた。その内容はそろそろ戻ろうか・・・ということだったと記憶している。

2.雪崩の発生

 それからほどなく、ふと、下を向いて歩いていると突然目の前に雪煙が見えた。それは爆風とともにやってきて、瞬間にドーンというものすごい音響が響きわたり、身体は宙に舞い上がった。一瞬にして雪崩だと思い、どのような状況にも対応できるよう心をたてなおす。心は揺れ動くこともない。すぐさま、左手のストックを離し左手で鼻と口を覆い呼吸を確保した。今回は三本指のミトンをアウターの手袋としてはいてきたので、覆うのには都合がよかった。

 まわりの空間はうす暗かったが雪がチラチラ光っており、静寂そのものだった。うつぶせ状態で飛んでいたのだが、上方が明るくなり「しめた!」と思ったが、瞬間に雪がまた覆った。と同時に地面に落下した。その時、左手で口の前の雪を払いのけながら、左手を雪の外につきだした。先ほどの感覚から、それほど深い雪の下に埋もれたのではないと思ったからである。呼吸のための「気道」は確保した。

 左手を雪面から出したものの、ほかはすっぽり雪の下となり、すでに身体を動かすこともできなくなっていた。身体を覆っている雪はコンクリートのように重い。右手はストックを握ったままの状態である。(僕の体勢は、地面に落下したときはうつ伏せだったが、すぐ左手で雪を払ったため、左肩が斜め上に右肩は斜め下で顔は左側を見る姿勢となっていた)

 このとき、ほかのメンバーも同じように埋まっているのなら、ぼくはどうやって脱出しようか非常に不安になった。自力脱出には相当の時間がかかるように感じた。

 幸い、顔面を覆っている雪は5cmくらいなので、左手で少しずつ雪を取り除いた。すると、Kさんがきて、目の前に座りながら僕の身体の雪を取り除き始めてくれる。けれども、Kさんも脱出した直後らしく、ときたましか動けない状態にある。すぐ近くから数人の呻き声が聞こえる。また、このときに左手で身体の雪を払うと、すぐ傍から「雪がかかるから、やめてくれ」という内容の言葉を聞いているから、すぐ側に人が埋まっていると思った。

僕はKさんに「ゾンデもスコップも持っている。早く他の仲間の救助したいから、掘り出してくれ!」と頼んだことを覚えている。でも、これも僕の心のなかに「早く、助かりたい!」という想いも混ざってのことだと考えている。

誰か救助に来てくれたらしい。Kさんが立ち上がり両手を振りながら、「助けてくれ〜!手伝ってくれ〜!」と叫んでいる。中央労山パーティが救助に駆けつけてきてくれた。

 雪崩が発生してから、ぼくの感覚では約15分くらいでKさんが引っ張ってくれて、脱出できた。僕は斜面の中ほどの位置にいたようだ。このあたりの僕の記憶は鮮明で何一つ忘れていることはないと思う。

僕のすぐ斜面の上にTさん、右隣にKKさんやSRさんがいたと思う。僕の頭はカミホロに向かっていた。が、当初は南北の関係がわからず、180度全く逆に方位をとらえていた。

 脱け出したものの、激しい脱力感で、ザックを降ろしゾンデとスコップの用意をするが、スコップの組み立てすらままならない。柄をはめるのだが二つの穴にさしこむことができない。柄をはめず、ブレードだけを持つ。ようやっとスムーズに動けるようになった頃には、Tさんは掘り出され、中央労山のMさん(?)(Nさん?)ともう一人の女性が心肺蘇生を行っていた。Tさんはかなり早い段階で掘り出されていた。(雪崩の勢いで右手の手袋が飛ばされ、雪面から出ていた手は真っ白だったという)が、意識がなかった。

 SRさんの下半身にかぶさっている雪をブレードだけのスコップで取り除く。しかし、上手くいかないので、再度柄を取り付ける。今度はうまくいった。

その前にKKさんが脱出していたと思う。SRさんは両膝と足首が見えるまで雪を取り除いた。誰かが「もう、動けるでしょう?」と聞くと「動けない・・・」という返答だった。怪我をしていることがわかった。

 上の方から「誰か来てくれ〜」という声がかかる。埋まっている人がいるらしい。二人がそちらに向かう。

Tさんへの心肺蘇生は続けられていた。中央労山の方、男性と女性の方がかわるがわる「だいじょうぶだ!しっかりしろ!」「がんばって!!」と大声で怒鳴りつけるくらいの勢いで声をかけている。

でも、Tさんはぐったりしたままで動くことはない。

 この時点でぼくの目に入ったメンバーは、まずリーダーのNさん、メンバーのKMさん、Kさん、SRさん、KKさん、Tさんだった。Uさんは上部で捜索していたらしい。

 僕がビーコンで捜索しなかったのは、誰がビーコンを装着しているかもわからなかった。そのときの僕の認識としては、Sさんと僕だけかなと考えていた。

 SRさんの「Yちゃんを捜して!」という言葉でゾンデを使うが、先頭集団にいたという記憶が蘇ってこず、場所の範囲を狭めることもできない。まず、僕たちが埋まっていたあたりから捜す。ゾンデもすぐには組み立てることができなかった。(SRさんは掘り出された後、その近くで座っていたが、その後、中央労山の方により三段山側に場所をかえツェルトにくるまった状態であった)

 誰が生きていて、埋まっているか、その事実すらわからない状況だった。リーダーが「Sさんがいない!」という言葉ではじめてSさんが埋まっていることを知った。

 下流の方では雪面から足が出ていたYOさんを札幌山の会が掘り出したと聞いた。札幌山の会は僕たちのパーティの後から出発しこの異変を知り救援に駆けつけてくれたのだ。上部ではSさん?の捜索をしていた。また、他のパーティの一人が雪崩と共に落ちてきて、助け出されたと聞いた。

上部では中央労山のパーティだろう、1m以上(?)雪を堀り、そのなかでビーコンで「距離1.8m」と誰かが叫んでいるのを記憶している。そのぐらい掘らないと、ゾンデが下に届かないのだろうか?

おそらく、雪崩をほぼ真上からうけたのだと想像する。

 僕はKさんとどなたかもう一人の合計三人で、僕が埋もれた斜面から下をゾンデで捜索するが何も発見できない。三人なので、組織的捜索〜ゾンデの使用方法をすることが叶わない。皆疲労が極限状態に達しており、のろのろとしか身体が動かない。その後、札幌山の会と組織的探索をするが、皆についていけない。ゾンデを雪中にさしこみ、抜く動作が遅れてしまうのだ。

 (同じメーカーのゾンデを持っていると、どのゾンデが自分のものかわからなくなってしまう。これは、スコップも同じ。もちろん、緊急事態の場合はそんなことにこだわっている余裕はないが)

 Tさんへの心肺蘇生はゆうに1時間以上続けられた。が、やむなく、札幌山の会が設営したテントに運びこまれる。そのとき、Tさんの右足を持つが重くてつい離してしまう。そのテントの中ではYOさんが山の会パーテイに心肺蘇生をうけていたようだ。

 (テントは二張りあり、札幌山の会と青年二人パーティ所有のものだった)

その後、掘り出されたSさんもテント近くに運ばれ、心肺蘇生をうけていた。Sさんはやはり先ほどの深い雪の堆積層のなかから発見された。

心臓マッサージをしている人がもう一人に言う。「息を吹きいれて、ときどき、すぅっと入っていくことがあるだろ。それは肺に空気が入っていくのだ。」けれども、その間隔もとぎれとぎれになっていく。

この時点でまだ発見されていないのは、SYさんただ一人となった。

 時間がたち、空も少しずつうす暗くなってきたため、リーダーは三人をテントに収容したまま、SRさんを無事に下に降ろすことを決断した。日帰り装備しか持たないパーティであるためここに残ることは危険を伴うことになる。

SRさんを載せる橇を作るためスキーを取りに行くことになる。最初、KMさんとKさんがスキーをデポしたところへ行ったのだが途中で道がわからなくなり戻ってきた。そのため、Nさん、僕も一緒に行く。(おそらく、15時過ぎ?)

デポ地点では携帯が通じるようになったので日本山岳会北海道H支部長に連絡し状況を伝える(15時10分)。KMさんとKさんは先に戻り、僕の携帯でNさんが警察と話す(15時18分)。寒いため携帯の電池がきれてしまう(懐に入れて暖めると復活する)。

テン場に戻ると中央労山の方たちがスキーで橇をつくってくれていた。SRさんの搬送には中央労山のメンバーがシーデポ地点よりいくらか先のところまで担ってくれた(中央労山はテント場に戻る)。

橇はそのあたりで壊れてしまい再度作り直すが、山の会の人たちがやってくれる。そこからは下山する札幌山の会そして途中で迎えにきてくれた警察の救助隊が搬送してくれる。一人を搬送するだけでも、相当な労力と装備が必要なことを痛感した。

橇より先にUさん、KKさんたちと共に陵雲閣に降りることになった。ヘッドライトをつけながらの帰りはなかなかに大変だった。(なぜか冬の夜間歩行は日本山岳会メンバーとのみおこなっている。)

ただ、駐車場近くの夏道ではライトで道を照らし、見守ってくれる人がいて大変勇気づけられた。

陵雲閣駐車場には警察関係、報道陣が集まっており、煌々とライトが照らし出していた。取材されるメンバーもいたようだ。僕は報道陣の間をすり抜けて玄関へ行く。そのとき、日本山岳会員のUYさんから携帯に電話がかかってきて、その後、折り返し、わかる範囲のなかで状況をお伝えする(17時23分)。

その後、ぼくの所属する札幌山びこ山友会の仲間たちとも連絡をとってから陵雲閣の中に入る。山びこのTさん、HNさんは明日来てくれるという。あちこちに電話したため、パーティのなかでは、僕が一番最後に中に入ったようで、警察の担当の方が待っておられた。

事情聴取はほぼ一時間程度おこなわれた。その後、全員で白銀荘に戻る。すでに支部長のHさん、HMさん等の日本山岳会の人たちが来ており、その後、中央労山のOさんやSOさん(日本山岳会員でもある)も来る。

すこし腰の良くないKさんとともに僕も先に寝てしまった。が、一緒に歩いていたSYさんの笑顔がすぐに蘇ってきてなかなか寝付けない。

11月24日(土)

 朝5時半にNさんの車に乗り白銀荘を出発。朝、駆けつけてくれた山びこのHNさんの車も後ろから付いてくる。陵雲閣駐車場には沢山の人が待機している。警察、自衛隊、地元の富良野の山岳関係の遭難救助隊の人たち。また、「三段山クラブ」の人もいるだろう。そして、札幌山の会のみなさん、札幌から駆けつけてきてくれたOさん等中央労山のみなさんや札幌山びこ山友会の仲間・・・。

 札幌山の会のメンバーのなかには、先だってhymlの懇親会にいたkouichiさんの姿も見える。

 さて、その札幌山の会がビーコンチェックを始める。HNさんに「三野さん、ビーコンつけたかい?」と聞かれたので、「チェックしてもらいましょう」といい、山の会の方に「部外者ですけど・・・」と許可をいただき、HNさんと共にビーコンチェックをしてもらう。

 Uさんがレスキュー隊(?)の一人ひとりに丁寧に挨拶をしているのを見る。さすがだなぁ、僕も見習わなければと思う。

 捜索隊が出発する。僕も6時40分にHNさんと共に出発する。まだ、行方不明のSYさんの捜索のために。

 出発のときに、Hさんが声をかけてくれる。「Nさんたちと共に動くように」という内容だったと記憶している。

総勢で約120名。雪崩の二次災害の恐れのあるなかでの出発である。多くの人たちが捜索していただける。これは言葉にはならない。

 ところが、ぼくが捜索に加わることに対しては、うちの奥さんをはじめとしてそれぞれの両親が猛反対している。やむなく、昨日のテン場から見守っていることとした・・・。

 夏道の先の先まで、救助隊の人々が連なっている。ところどころにはテレビカメラがある。

 テン場近くで救助隊の一人がスキーのジルブレッタ400(404?)の踵のリリースがはずれ困っていたので、道具を貸すがうまくいかない。そのうち、彼の上司が来て「置いていけ!」と指示したため、一緒に向かう。

 捜索現場では札幌山びこからも一緒に行ったHNさんのほかにもMTさん、YMさん、Tさんが来ており、捜索に加わっていた。これらの方々は北海道雪崩研究会にも属している。

 雪崩の再発生による二次遭難を防ぐために、何箇所かに「見張り」がたっている。寒いなかで本当にご苦労様だと思う。ずっとそれらの斜面を片時も目をそらすことなく凝視している。

 ゾンデ捜索隊は二つの隊にわけていて、Sさんが発見された場所とテン場の中ほどに一隊。また、テン場にもう一隊が横一列に展開し、指示のもとに上流部に向かって進んでいる。

 また、Sさんが発見された一帯でも何人かでゾンデによる捜索をしている。

 Zポイントあたりには報道陣なのだろうか、登山者なのだろうか、たくさんの人の塊りが見える。そこから捜索の模様を逐一見ているに違いない。

 また、雪崩研究者の方なのだろうか?一人が化物岩周辺から雪崩が発生した地点を目掛けて登っている。破断面の観察だろうか、相当な高さまで登りそこから見ているようである。しばらくして降りてきた。

 絶えず動いていないと凍えるくらいの寒さで、近くにYさんもいることを知る。

 中央労山のTONさん、Mさん、Nさんたちのパーティが戻られた。TON会長には励ましの言葉をいただく。中央の皆さんには大変お世話になった。そして、札幌山の会の皆さんにも。

 9時頃、Sさんが発見されたあたりでSYさんも発見される。捜索隊にほっとした安堵の思いが広がる。しかし、悲しみは深い。歩いているときの優しい笑い顔が思い出される。

その直後にNリーダーから警察の再度の事情聴取があるからと、すぐに陵雲閣に戻るようにと指示され、KMさんと向かう。その聴取は一人ひとり、1時間半から2時間半もかかるものだった。

 陵雲閣には日本山岳会のメンバー、僕の知っている小樽のNUMさん、YOKさんなど多くの方が駆けつけてきてくれた。

                           以   上   



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