上ホロカメットク山雪崩事故2
〜オッキーさんのブログからの引用〜

  僕が所属している札幌山びこ山友会にオッキーさんという先輩がおります。この方のご主人は札幌中央労山に所属しており、雪崩事故のあった当日にその現場にいて救援救助活動に携わっていただいた方でした。そのご主人がそのときの模様をオッキーさんにお話しされ、ブログに投稿された内容について、ご了解をいただいた上でここに掲載いたします。

  (その1)

 11月21日から横浜に出かけ、23日の18:30千歳着

 空港ロビーで、携帯に電源を入れると「カミホロカメットク山」通称上ホロで雪崩事故あった旨のメール有り。心臓が高鳴る 夫も同日同山に入っていた。慌てて連絡取るも圏外で応答なし。

あらゆるところに連絡を入れて 夫のパーティーは無事であることを確認する。ホッとする間もなく 私の同会の会員Mが事故パーティーの1人であることが判明。驚いてMの携帯に連絡を入れる。幸運にもMは無事に助け出されていた。

 Mの奥様に電話を入れて、この後はMに危険が及ぶことはない事など話す。

深夜になって夫からも連絡が入った。声が聞けてよかった。この時点で3名が心肺停止状態、一名が行方不明であった。

 翌日、朝10時過ぎには最後の一名も遺体で発見されたとの連絡が夫から入る。Mの奥様に再び連絡。警察の聴取が終わり次第帰れるだろう旨を話す。午後4時頃、夫が帰宅。詳細を聞く。

 「毎年張るテン場がなんとなく危険に感じて、反対側の少し高台にテントを張った。

 自分は、3カ月前に骨折した足ではみんなと同じ速度で歩けず、山に向かわずにテン場に残った。

 そうすると地鳴りがしてドカーンという音と共にテントが爆風で飛ばされそうになった。
 雪崩だ!と思い、急いで外に出た!しかし回りに誰もいない状態で1人で行動して二次雪崩で自分が持って行かれたときに、自分は助からないと思い、まず自分のパーティーが無事か確認することにした。

 斜面を少し進むと自分のパーティーが帰ってきたのが見えた。

 ホッとする間もなく、今度は合流した仲間とすぐに捜索に入った。

 ビーコン(雪崩に埋没した人を探す機械)で、2〜3名の生存者を見つけた。中には完全埋没の人もいた。

 雪崩から30分後くらいに掘り起こした女性は、意識はなく自分ともう1人女性と二人で人工呼吸と心臓マッサージを1時間ほど続けたが蘇生しなかった。

 その日の最後に発見された男性は、3mも埋まっていた。雪崩から1時間半くらい経っていた。

 けが人1人だけを簡易そりで下山させ、結果的にその時点で3名をテントに収容することになった。

 そして今日、最後の人が遺体で発見されて、死亡者は4名になった。」

 概要は上記のようだ。


  
(その2)

 
11月23日の雪崩事故の現場で救助活動に加わった夫曰く「11人が飲み込まれた事故現場は、さながら戦場のようだった。

 雪崩で雪が集められた中に あちらにザックだけがこちらに手や顔だけが雪の上に出ている状態で一瞬どうしていいかわかない呆然とした気持ちになった

 とにかくビーコンを受信状態にして、すぐに合流したS山の会のメンバーと数グループで捜索活動は始まった。

 他のグループからビーコンに反応し生きて掘り起こされた青年は、ショックで動けなかったので、自分達のテントで休んでいた。


 自分のグループは2名の女性を救助するもその下にもう1人の女性が下向きで埋まっていることを知る。

 雪崩は雪がどんどん締まってくる。


 その硬くなっていく雪は掘っても掘っても体は出ず、腕を骨折させても早く上向きにさせてあげたいと思うほどだった。

 さっきまで生きていた顔は、いつまでも赤みをさし、心臓マッサージを止める事はできなかった。

 なんとか蘇生できるんじゃなかいと思ったがだめだった。

 3mの雪に埋まった男性のビーコンは、反応するも3m以内に距離は縮まらず(注:ビーコンは、埋没者の発信地に近ければピンポイントで探すことが出きるのです)相当深く埋まったことが予想された。
 後は、掘り出すだけだった。

 一度に3名もの遺体が並んでいる光景を見るのはやはり言葉にならない。」




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