新聞記事

漢字は生きている 「漢字の力シンポジウム」 東京・品川 2012年03月06日 朝刊 東特集K
 

29年ぶりとなる常用漢字表の改定を受けて、財団法人日本漢字能力検定協会が「漢字の力シンポジウム」(朝日新聞社共催)を先月、東京・品川で開いた。1600人の応募から抽選で選ばれた450人が漢字の力や奥深さを学び、日本語の豊かさを味わった。
 <基調講演>
 ●時代を映しながら変化 池上彰さん(ジャーナリスト・東京工業大教授)
 ラジオのこども電話相談室で、小学2年の女の子から「新聞はなぜあんなに漢字が多いのですか」と質問を受けたことがあります。
 漢字は覚えるのが大変。その気持ちはわかる。しかし、全部平仮名だとかえって読みづらい。「新聞」という言葉も、漢字なら、何か新しいことが書いてあるのかな、とわかる。「今は大変かもしれないけれど、これから漢字をたくさん覚えると新聞がすらすら読めるようになるよ。だから頑張ろうね」と話しました。子どもに漢字の大切さを話しながら自分でも、ああ、そうだと気づいたのです。
 かつて日本では、知識人が日本語をやめるべきだと大真面目に議論していました。明治には後の文部大臣、森有礼(もりありのり)が英語を国語にすべきだと言っている。啓蒙(けいもう)思想家の西周(にしあまね)も、日本語をアルファベットで表記すべきだと提言していた。
 戦後、日本は米国から漢字をやめろと言われました。しかしすぐにはやめられない。それなら当分使う漢字を作りましょう、と「当用漢字」ができました。いずれ漢字がなくなることが前提だったと知ったときの、私の衝撃は大変なものでした。
 ところが、日本の国語政策は変わります。1981年、当用漢字は「常用漢字」になる。「これからも私たちは漢字を使い続ける」と宣言したのです。
 漢字はその時々によっていろんな変化を遂げる。みんなが読み間違えたことによって、新しい文字づかいができたこともある。医療の世界で使われる「洗滌」は「せんでき」と読む。しかし「せんじょう」と間違って読まれることが多くなりました。戦後に「滌」が当用漢字でないため使えず、当て字として「洗浄」という文字が生まれました。
 「重複」の読みは、もちろん「ちょうふく」ですよね。でもふつうは「うな重」などの「重(じゅう)」として使います。「重用(ちょうよう)する」という使い方もありますが、やはりうな重の「じゅう」。あまりに「じゅうふく」が広がったので「これも使っていい」と読みの重複を認めることになったのです。
 日本語は生きている。生きているから変化する。これを言葉の乱れだと嘆く人もいますが、それもまた、生きているからなのです。そのなかでどれだけ漢字の美しさを伝えることができるのかが、次の世代に向けての私たちの責任なのではないかと思います。
 <パネルディスカッション>
 ■コーディネーター 池上彰さん
 ■パネリスト
  阿辻哲次さん(京都大教授)
  安藤和津さん(エッセイスト)
  福島申二(朝日新聞論説委員 天声人語筆者)
 ●池上「次回は『絆』きっと入る」 安藤「使い方はその人の人生」 阿辻「人生観込めたカプセル」 福島「かな文字まぜバランス」
 池上 今年の漢字というのが清水寺で発表される。去年は思った通り、「絆」という文字だった。
 福島 新聞社はそれぞれに使える漢字を決めている。「絆」は常用漢字には入っていないが、朝日新聞をはじめ多くの新聞社が使っている。東日本大震災の前から孤独死などで人のつながりが言われはじめ、それを敏感に受け止めて「絆」の字を入れたのだと思う。
 池上 今回の常用漢字改定では「絆」を入れようという議論もあったように聞く。次の改定には間違いなく入るだろう。漢字はそれぞれの時代を映す。
 阿辻 改定する時に、頻度数調査を行った。過去10年間で「絆」は常用漢字にすべきほどの使用量ではなかった。「絆」は形声文字で、糸偏の「糸」は綱という意味を表し、つくりの「半」は、「はん」という発音を表す要素でしかない。それでは面白くない。ちまたでは、2人の人が糸を引っ張っているのが結束を表すという解釈がある。考えを文字に託すのが許されるのは日本語のすばらしい文化だ。
 福島 戦争中によく言われた日本の国のかたちを戦後は「国体」と書く。しかし、ある戦中派の政治学者が、旧字の「國體(こくたい)」でないと、あの時代の重苦しい空気や畏怖(いふ)感は想起されないと言っていた。
 安藤 「幸せ」っていう言葉は、カタカナ、平仮名、漢字、どれで書くかによって、その人の年代が違っているように感じる。そこに漢字の面白さがある。
 阿辻 日本語は表意文字である漢字と表音文字である平仮名、カタカナを合わせて書く世界でも唯一の言語だ。「宝」の旧字「寶」は、屋根(ウ冠)の下に宝石(王)とお酒(缶)とお金(貝)を形作っている。3千年以上前の中国の誰かが形を作った。古代の中国人たちが人生観、世界観をそれぞれのカプセルに込めた結果が漢字だ。
 池上 朝日新聞のコラム「天声人語」は漢字を使いすぎて黒過ぎるとか、白過ぎていけないとか、意識しているのか。
 福島 非常に意識する。刷りを見ながら、今日は黒っぽいなとか、白いとか、漢字と平仮名のバランスを気にしている。
 安藤 日本語に英語が混じってきている。「今日、メーキャップしてリップにチェリーピンクのグロスをつけた」という若い子の言葉を昔風に文章にすると「化粧を施して唇に桜色のつやを出した」となる。まったく違ってくる。
 阿辻 「苺(いちご)」が04年に人名用漢字に追加された。日本人の学生は「漢字で苺って書く名前ってかわいい」と反応した。それを中国の留学生は、文字をかわいいと感じるのはどういうことだ、と疑問に思う。中国語は漢字しか選べない。日本語は選択が可能だ。日本人の感性と漢字との大きな関係ではないか。
 池上 最後に漢字に対する思いを。
 福島 母語は精神そのもの。私を一人の人間にしてくれたという愛着を日本語に感じる。3種類の文字を大事に使っていきたい。井上ひさしさんが言っていたが、話し言葉はまさに生きている言葉だから乱れても構わない。抑えとして書き言葉がしっかりしていればいい、と。
 安藤 例えば、「食」という字は、人を良くすると書く。漢字もそういうふうに、覚え方次第ですごく楽しくなる。自分なりの覚え方をして、文を書く。どこで漢字にするか、どの漢字を使うのか、その方の人生なので漢字を覚えながら文章も書いていただきたい。
 阿辻 武士の武は「戈(ほこ)」を止めると書く。「武器の使用をストップするのが本当の勇気なんだ」という解釈がある。一方、文字学では「止」は「歩く」という意味で、武器を持って進軍することが本来の意味だ。研究者の世界とは違う解釈があっていいし、漢字は世の中に幸せをもたらすことができる有力なメディアの一つだ。私たちには古代の宝物を未来にも引き継いで伝えていくという使命がある。
 (この特集は中村真理子、山田優が担当しました)
 ◆常用追加の196字、中高の授業でも 29年ぶり常用漢字改定・教科書に今春から登場
 新しい「常用漢字表」は2136字。2010年11月に内閣告示され、その後、法令や公文書、新聞、雑誌、放送などで使われる漢字は、新しい表に沿ったものに変わっている。
 1981年に決められた旧常用漢字表は1945字だった。今回は、出版物などでよく使われる196字が追加され、あまり使われなくなったとして「匁(もんめ)」など5字が外された。
 新たに加わったのは、「俺」や「虎」「鹿」、「嵐」や「麺」、「挨(あい)」「拶(さつ)」など現代の生活になじみの深い字が多い。埼玉の「埼」、栃木の「栃」などの地名も加わった。中には、語彙(ごい)の「彙」、隠蔽(いんぺい)の「蔽」といった、あまり日常的とは言えないものも含まれている。
 朝日新聞も、新しい指針を尊重して、漢字の表記の基準を一部変えた。ただ、常用漢字として追加された字のうち、「鬱(うつ)」や「彙」、「畏怖(いふ)」の「畏」など、読みが難しい51字については基本的に使用せず、必要がある場合は読み仮名を振って使用することにしている。
 常用漢字の改定で、国語の教科書も変わる。追加された196字は、2012年度から中学と高校で学ぶ。生徒たちが今春、手にする教科書から、新しい常用漢字が登場する予定だ。
 ■常用漢字表に追加された196字
挨曖宛嵐畏萎椅彙茨咽淫唄鬱怨媛艶旺岡臆俺苛牙瓦楷潰諧崖蓋骸柿顎葛釜鎌韓玩伎亀毀畿臼嗅巾僅錦惧串窟熊詣憬稽隙桁拳鍵舷股虎錮勾梗喉乞傲駒頃痕沙挫采塞埼柵刹拶斬恣摯餌鹿叱嫉腫呪袖羞蹴憧拭尻芯腎須裾凄醒脊戚煎羨腺詮箋膳狙遡曽爽痩踪捉遜汰唾堆戴誰旦綻緻酎貼嘲捗椎爪鶴諦溺填妬賭藤瞳栃頓貪丼那奈梨謎鍋匂虹捻罵剥箸氾汎阪斑眉膝肘阜訃蔽餅璧蔑哺蜂貌頬睦勃昧枕蜜冥麺冶弥闇喩湧妖瘍沃拉辣藍璃慄侶瞭瑠呂賂弄籠麓脇
 ■常用漢字表から外された5字
 勺錘銑脹匁
 【写真説明】
阿辻哲次さん
安藤和津さん
福島申二論説委員