成田山青龍寺は、710年(和銅3年)天明天皇の命によって行基菩薩が開かれたお寺で、古くは花喜山浄光寺と呼ばれていました。1581年(天正9年)豊臣秀吉の家臣、堀秀正が、この寺(当時は中山山頂付近にあった)を攻めたとき兵火にかかり仏殿・宿坊ことごとく焼失しましたが、三体の仏さまのみ持ちだされ、その後現在の八頭町下門尾に本堂を再建しました。明治になり、大本山成田山新勝寺よりお不動様を勧請し、以来”因幡の成田山”として信仰を集めています。