長崎 PartU

はじめての島原




 さてさて長崎PartUです。島原半島のつけねの町、諫早から車に乗ってしばらくすると、一面の麦畑の中に入ってゆきました。このあたりは暖かくて作物が豊富に収穫できる土地とのこと、この麦畑も以前は海で干拓地だそうです。


一面の麦畑
  
麦畑


 麦畑を通り過ぎ、車は時計回りに島原半島を一周する道を進みはじめました。なだらかな丘にさしかかった時に、いろいろと問題になっている諫早湾干拓の潮受堤防が見えてきました。あいにく視界が悪く良く見えないのですが・・・・。
 問題の干拓事業については、報道を通して知ることと、現地の事情とには食い違いもあるようで、報道されている事柄を受け取る側も、その情報の内容に注意をはらわなければならないことを、改めて教えられました。鵜呑みが多いもんな私も。


灰色のところは空ではなく海
線のように見えるのが潮受堤防

塩受堤防

 車は雲仙岳に連なる一連の山を右に見ながら進みます。道はバイパスのように山の裾野の高いところにつくられており、海や海岸沿いの町を遠くに眺めることができます。諫早から1時間程で島原市に着きます。車の中からですが、島原藩の武家屋敷街並みが見えました。少し沖縄の石塀にも似た頑丈な造りであることが伺えます。


武家屋敷のほんの一部
奥には現代の武家屋敷も見える?

武家屋敷


  1991年、普賢岳の噴火に伴う火砕流が水無川一帯を呑み込んだ災害は、いまだ鮮明に記憶に残っています。その水無川は島原の町を少し過ぎたところにありました。島原の中心街は普賢岳の手前にある眉山という山が火砕流の流入を妨いだために、大きな被害がなかったとのこと。火砕流は小さな水無川に沿って大量に一気に流れてきたそうです。今でもその時のままに一部が保存されています。


なんかことばがない

火砕流の被災家屋


 こういう生々しい現実にふれると、ことばを失ってしまいます。そんな時のつかみ所のない不安定な心の中に、人が神を求める入口があるようにも思います。自然の脅威をあまり感じることもなく過ごしている日常の中で、気がつかないうちに傲慢になっていることを自覚することが必要だと感じました。

 その夜にコンサートが開かれた町は有家町。島原からさらに半島の先へ行ったところです。会場は町民センター。コンサートの後に、この町民センターに変わった名前のホールがあることに気がつきました。その名も「コレジョホール」。方言なのかなと思い尋ねてみると、なんとキリシタン時代の大学「カレッジ」⇒「コレジョ」からきているとのこと。そう、この有家町は島原の乱の中心地なのです。かつてはキリスト教の伝来によって栄えた町なのです。ですから「コレジョ」のほかに「セミナリオ」⇒「神学校」の跡もあります。
 翌日、帰途につくまでのわずかな時間でしたが、島原の乱で最後にキリシタン農民がたてこもった南有家町にある原城を見せていただきました。
 国道から狭い道を少し行くと小高い丘の上にでます。この丘をさらに行くと原城があります。城の入口のところに少し窪んだ地形のところがあるのですが、そこは空濠(からぼり)といって、3ヶ月に渡る籠城の時に非戦闘員の人々を隠した場所です。


空濠

空濠


池尻口門跡
島原の乱の後に原城は幕府によって
徹底的に破壊された
この門跡も発掘されたもの

池尻口門跡


原城跡

原城跡


城跡に立つ十字架

原城に立つ十字架


城の後ろは絶壁
農民が長期間たてこもれた理由のひとつだろう

原城から海を見る


  有家の名産のひとつは「そうめん」。とても意外です。実は原城が落城した1638年、このあたりのキリシタンは全滅、町は廃墟のようになリました。そこへ幕府の命により各藩から島原への移民が供出され今に至っているのです。町の人々があるできごとによって全て入れ替わった町は、島原のいくつかの町以外にはないのではないでしょうか。有家には小豆島からの移民が住みついたので、小豆島の名産そうめんがここでも名産になったのです。


原城からの景色

原城からの遠景



 帰り道、原城を案内をしてくれた年配のご夫人方との会話の中で、お二人が長崎の原爆で被爆していることを知りました。おひとりは爆風で飛んできたガラス片が今でも身体にたくさん入っているとのこと。原爆投下の日のことを、長い間話すことができなかったとおっしゃっていました。心の傷が癒えるために必要な時間は私達の想像以上なのかもしれません。
 
 さあいよいよ帰路につきます。帰り道は雲仙を抜けてゆくとのこと。その途中で美しい「みやまきりしま」の群生地がありました。この花々は歴史のひとつひとつを見つめてきたのでしょうか。


雲仙のみやまきりしま

みやまきりしま


 長崎はいつか妻と一緒に来たい場所ですし、佐世保の瑠璃紅では娘のろうそくと私の歌のコラボレーションを計画したいと言ってくださっています。きっと近いうちに訪れることになるでしょう。長崎から日本の歴史を覗いてみることはとても有意義なことだと思います。

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