80才 空を飛ぶ
西南学院




 今度の旅は今までにない旅になりました。それはいろいろないきさつから、私の母も福岡の知人の家を訪ねることになり、なんと2人で一緒に旅をすることになったのです。もちろん帰りは別々ですが。

 福岡へは飛行機で行くことにしました。しかし母は長い距離を歩くのがもうつらい年齢です。羽田と福岡の空港内を車椅子で移動できるように航空会社にお願いしたところ、とてもとても良くしてくれました。

その時の車椅子
車椅子

 無事に飛行機に乗り込んでさあ離陸です。天気も良く、夕方のフライトでしたので、機外が美しく見えています。富士山もご覧のとおりです。

6月1日 夕方の富士山

 福岡空港では以前長く歩いたという記憶があり、羽田よりも福岡で車椅子が必要だと思っていました。今回は一番端のエプロンではありませんでしたが、それでも出口まではかなりの距離があります。

 飛行機の出口に用意されている車椅子を、航空会社の女性が母を乗せ、押して行きます。エレベーターを使い、手荷物の受け渡し場へと向かいましたが、やはりけっこう入り組んだ順路になっています。出口まで10分近くかかったかもしれません。ここでも航空会社の方は親切でした。

 やっと出口が見えてきました。車椅子が止まり、そこに懐かしい懐かしい友人夫妻の姿を見つけた母は、嬉しさのあまり、なんと立ちあがって小走りに行くではありませんか。く、く、車椅子の立場は、ここまでのプロセスは、私は「母は長く歩くのがつらいもので・・・・・」とかなんとか言って、ちょっと照れくさい、嬉しい瞬間でした。

 福岡に着いた翌日が、西南学院ランキンチャペルでのコンサートです。普段はコンサートに来たがらない母も、今回はしょうがありません。ステージから会場を見回すと、後ろのほうに母と友人夫妻が座っているのがわかります。しかし母はぜんぜんステージの方を見ません。時々母を見ながら歌っていましたが、結局最後まで見なかったようです。なにかへそでも曲げているのかなと心配しつつコンサートが終わってしまいました。

 コンサートが終わって挨拶に会場入り口の方に行くと、そこに母達がいます。どうもその場の雰囲気から察すると、私の母であることがまわりの人にばれているようです。母はいつもと同じようでしたが、まわりの人に気をつかっているのがわかります。

 観客の方がほぼ帰られた頃、母が近づいてきて、「皆さんで食事でもして」と言って私の手にお金を握らせます。「いいよそんなこと」と言いつつわかったことは、コンサート中、母がステージを見なかったのは、へそを曲げていたのではなく、息子のステージがうまくいくかどうか、心配で心配で見ていられなかったんだということがわかりました。

 もう母の日は過ぎていましたが、久しぶりに母を感じた夜でした。幼いときに父を亡くし、母がひとりで僕を育ててくれたんだものな。

 色々とお気遣いくださった、西南学院のハンキンス先生ご夫妻とスタッフの皆様、そして学院長のL.K.シィート先生、すばらしい機会をくださりありがとうございました。
怪しく輝く福岡タワー

Tadaimaのメニューへ戻ります。