千 早 城
大阪府南河内郡千早赤阪村千早
楠木正成は本城である上赤坂城を鎌倉幕府軍に奪われていた。1332年(元弘2年、正慶元年)正成は赤坂城の詰めの城として千早城をその背後の山上に築いた。建武の新政以後、南朝方の楠木氏の居城となっていた。しかし、南北朝時代末年となる1392年(明徳3年)正成の孫、正勝は北朝方の畠山基国に攻められ千早城は落城し、61年に及ぶ歴史に幕を閉じた。(Wikipedia資料による) |
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