岸 和 田 城 大阪府岸和田市
南北朝時代、楠木正成の一族、和田高家が築城。 その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏と替わり、寛永17年(1640)岡部宣勝が入封。以来、明治まで続く。 現在の模擬天守閣は3層、本来の焼失した天守閣は5層。(天守閣は文政10(1827)に落雷により焼失) 秀吉が小出秀政を岸和田に封じ、城の整備行う。平城で本丸・二の丸・三の丸・総曲輪があった。 寛永17年(1640)、岡部宣勝のとき、再び大改修が行われ、伏見城の櫓と城門が移築された。明治の廃城令により、本丸・二の丸の石垣が残るのみとなっている。 |
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