久 留 米 城       
                                                                      久留米市篠山町

  

    築城主:不明  築城年:永正年間(1504年 - 1521年)  遺構:石垣、堀  指定文化財:福岡県文化財
 
室町時代後期の永正年間(1504年 - 1521年)にこの地の土豪が篠原城と称した砦程度のものを築いたのが始まりと言われる。 天正15年(1587年)豊臣秀吉が九州を平定すると、毛利秀包が3万5千石で封じられ近世城郭への改築を行った。秀包は慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍についたため戦後改易となった。 筑後国には田中吉政が32万5千石で封じられ柳川城を本城とし、久留米城を支城とし2男の吉信を城主とした。元和6年(1620年)吉政の子、忠政は嗣子無く没し田中氏は改易となった。 代わって元和7年(1621年)丹波国福知山城主有馬豊氏が21万石で封ぜられ、以後、明治維新まで有馬氏の居城となった。 (Wikipediaによる)
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