箕 輪 城                  群馬県高崎市

  

    築城主:長野業尚  築城年:1512年(永正9年)  遺構:石垣、空堀  指定文化財:国史跡
 
戦国時代の上野には関東管領山内上杉家が存在したが、上杉憲政が越後へ亡命した後はその重臣長野氏が残ったが、 相模を本拠とする北条氏、甲斐の武田氏が侵攻を繰り返えされていた。 1566年(永禄9年)武田軍の侵攻により、箕輪城は落城。 武田氏の滅亡に乗じ北条氏政の弟・氏邦が侵攻した。しかし、同年、氏邦は織田信長の家臣・滝川一益により追われたが、信長が本能寺の変で倒れると、 北条氏直・氏邦の大軍が上野国に侵攻、神流川の戦いで一益を破り、氏邦が再度箕輪城に入城。 豊臣秀吉の小田原征伐の際に箕輪城は前田利家・上杉景勝連合軍の攻撃により開城した。徳川家康が関東に入封により、箕輪城は井伊直政に与えられた。 直政は箕輪城を近代城郭に改造したが、1598年(慶長3年)高崎城に移封され、箕輪城は廃城となる。
ホームに戻る
上の写真をクリックすると大きく表示され 、その写真をクリックすると順に表示されます。