佐 賀 城
佐賀市城内
九州北部に覇を唱えていた龍造寺隆信は天正12年(1584年)に島津・有馬連合軍に敗れて戦死した。 これを機に龍造寺家臣の鍋島直茂が実権を握った。 直茂は早くも、天正13年(1585年)には村中城改修を計画している。しかし未だ当主であった龍造寺政家の居城であり、直茂は蓮池城が居城であったため、主家に憚って計画には手を付けなかった。計画が実現したのは江戸幕府政権下で正当に佐賀藩主として認められた後の、慶長7年(1602年)本丸の改修を始めてからである。直茂の計画に則り、次の藩主鍋島勝茂が慶長16年(1611年)に完成させた。 (Wikipedia資料による) |
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