米 子 城
鳥取県米子市久米町
米子城は、伯耆国主山名教之の配下、山名宗之によって応仁年間から文明年間(1467〜1487年)に築いたと伝えられる。のが始まりといわれている。その後、天正19年(1591年)には西伯耆・東出雲・隠岐の領主であった吉川広家が新たに築城を開始したが、 関ヶ原の戦い後、広家は岩国に転封となった。 このため、駿河より中村一忠が伯耆18万石米子城主となり築城開始。慶長7年(1602年)に完成した。しかし、慶長15年(1610)一忠が急死し、中村氏の改易後 加藤貞泰が入城。そして加藤氏転封後・池田由之・由成を経て、寛永9年(1632)に岡山城主・池田光仲が鳥取城に入り、家老・荒尾利成が米子城を預かる。以後、荒尾氏が明治まで在城した。 (現地案内板による) |
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