『うたかたの恋』の真実 ハプスブルク皇太子心中事件


さてさて、どんな‘真実’が明かされるのかな〜?と期待半分で読み始めた本。
読了して「う、うーん…真実…か?」
私には‘真実というよりは、既に史実とされていることの再確認’という感じがした。

マイヤーリンク事件についてひょっとしたら‘暗殺説を裏付ける証拠が発見されたのか!?’と多少は楽しみにしていたのだが…。
作者の仲晃氏の解釈は私には「あー、そういうことね。ふうん」と思うものもあったが、マイヤーリンクに関しては旧来通りの心中との判断だった。

表紙のルドルフ夫妻の写真を見るとシュティファニーは本当に背が高かったのだなとわかる。190pあったルドルフとの差は10pぐらいではないか。ハイヒールと結い上げた髪を差し引きしても170近くあったような感じがする。(羨ましい…)
ところでこの写真はなかなかいい雰囲気だと思う。新婚時代のものなのか、シュティファニーは初々しいし、出産後のイライラした様子もない。ルドルフの暗い顔はいつものことだから(笑)判断材料にはならないが、額の面積が晩年よりは少ないような…(そこで判断するか、私)

ところで御者のブラトフィッシュってあだ名だったんですか?
本名だと思ってました。

この本に疑問を感じた理由の一つは‘イギリスのエドワード皇太子がルドルフにマリーを引き合わせた’と言い切っていること。これは‘髭の殿下こと濃ゆいルドルフ=オマー・シャリフ’の映画『うたかたの恋』の1場面をまるっきり事実だと判断したということではないのか?
これは明らかに事実誤認だと思う。


−ハプスブルク皇太子心中事件−タイトルはそうだが、この本はエリーザベト暗殺からセルビア事件、そして第一次世界大戦、ハプスブルク帝国崩壊までを書いている。
一番長く登場するのは言うまでもなくフランツ・ヨーゼフであるが、作者はどうもこの老人が好きではないらしい。天愛を読むまでもなく、フランツ・ヨーゼフが自分の一人息子には政治的信条の違いなどもあって、よそよそしかったというのは知られている。そしてルドルフの死後皇太子とした甥のフェルディナンドに対しても嫌がらせをした…というのがかなり強烈に描写されている。

逆にマリーの一家(母親)に対する目は優しいように思える。
…好みのせいだろうか?
そして何より手厳しいのは、ルドルフ事件の時のターフェ首相とフェルディナンド暗殺の時のモンテヌーヴォ宮相に対する形容である。
ターフェに対しては‘ボンクラ宰相’
モンテヌーヴォに対しては‘狭量・陰険’
ふうん…。

エリーザベトの話も出てくる。当然の事ながら、ルードヴィッヒのことも。
なのに写真が無い。ルー様の写真の1枚ぐらい載せても罰は当たらないだろうに…。
(要するにルードヴィッヒ2世の写真が見たかったらしいです)

ミッツィの話はあまり出てこない。好意的には書いているが、マリーの‘美少女ぶり’を事細かく描写しているのと比べると明らかに熱の入れようが違う。
やはり仲晃氏は‘グラマーで男好きな顔立ちをした、だけど清らかなマリー’好みなのか?
ミッツィの写真も載っているが、なかなか知性的な美人である。アップでないからはっきりしないが、マリーのような大きな目ではないので、押しつけがましさがない。
そして、にこっと微笑むシュティファニーは、立場上ガンを飛ばしてもこちらを見据えていても納得できる。今まで見ていた彼女の写真があまりにも…だったからなのか、意外なことに(失礼な)この写真のシュティファニーはすごく美人に見える。

ミッツィの写真がこちらを見ていないのは、立場を弁えたからだろうと思う。あまりにも堂々としたポーズや視線になっては‘何様’と思われるだろうし。やはり写真1枚撮るにも立場を考えるのだろう。またそういう気配りができなければ、教養あると言われる高級娼婦の資格はないのだろうし。
…写真1枚で何を考えてるんでしょうね、私は。


厳しいと言えばヴァレリーについても割とシビアな書き方をしている。
「お兄様は自殺なさったのね?」
マイヤーリンクの知らせが入ったとき、ただ一人自殺と悟ったのが妹のヴァレリーだったそうな。
そしてセルビア事件の後、フランツ・ヨーゼフに向かって「カールはうまくやるでしょう」と言ったとか…。
これだけを読むと何とも鋭いが、冷たい女性のようなイメージなのだが…。

ところでこの本によると‘カールはヴァレリーの甥’となっているが、甥と言っても兄ルドルフの子どもは娘エルジィのみだし、姉ギーゼラの子どもではない。なのに甥?
ということはヴァレリーの夫のフランツの兄妹の子どもだろうか?
うーん、この辺がよくわからない。


また疑問の二つ目だが、ルドルフが初めて恋した相手の存在である。19歳の時にトスカーナ公国の公女と恋に落ち、密かに結婚した。そして公女は男子を産んで亡くなったという。
証拠不十分なエピソードを断定形と推定形を交えて書くというのはどうかと思うのだが…。
ルドルフの庶子30人のエピソードも書いてある。これは良く聞くエピソードなので、さほど気にはならないが、トスカーナの公女とのロマンスは取り立てて書くことだったのだろうか?


疑問の三つ目。
ルドルフと親しくつきあっていたヨハン・サルヴァトール。
彼については何も言及がない。皇帝への反逆を企てていたヨハン達が皇太子ルドルフを仲間に引き入れようとし、断られたから暗殺したという説もあるのだが−
仲氏は心中と言い切っているから、ヨハンについては書く必要はないと判断したのだろうか?
だが、当時のルドルフの心境にも影響を与えたはずの人物をまるっきり無視するというのは…「これは小説じゃないんでしょ?」と質問したくなる。
自分に都合のいい事実だけを積み上げていくのは、創作だと思うのですが…。


『うたかたの恋』−
ルドルフとマリーの恋だけでなく、ミッツィとの恋も、フランツ・ヨーゼフとカタリナ・シュラットとの恋も、そしてフェルディナンド夫妻もうたかたの恋だったのではないか−と作者は言う。
フェルディナンド夫妻がうたかたの恋−
その発想に正直びっくりした。
だが−そうかも知れないと思う。

将来の王冠も、恋も全て手に入れたと思われたフェルディナンドは、妻を思うがために大胆に行動し、不意を突かれ、殺される。儚い栄光の日々だった−
そう思えば確かにこれも『うたかたの恋』だろう。

そして一つ感じたことがある。
フランツ・ヨーゼフのフェルディナンドに対する気持ちには‘嫉妬’もあったのではないか。
貴賤結婚との批判を浴びながらも、意志を通し、愛する女を正妻に迎え、そばに置いているフェルディナンド。フランツ・ヨーゼフの熱愛する妻エリーザベトは殆ど自分のそばにはいなかったというのに。
貴族達から陰口を叩かれながらも、傲岸とも言えるふてぶてしさでフェルディナンドは妻ソフィーを離さない。そしてソフィーもそれに応えるかのように、人々の冷たい仕打ちに耐えている。
まさに‘仲むつまじい夫婦’の姿である。死ぬときでさえ、一緒だった甥夫婦の絆。
その二人の姿が、一人息子を失い、愛する妻にも先立たれた老人にどれほど腹立たしく思われたことか。
それを想像すると、フェルディナンド夫婦の悲劇に対して老皇帝の取った態度の意味もわかるような気がするのである。


と、感想なのか、述懐なのか(あら探し?・笑)意味不明な文章になってしまいましたが、私の感じたものを文字にするとこんなところになります。

作者があのブリギッテ・ハーマンの著作を参考にしていないところが意外でした。

(2006.3.21)



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