自分が傷つかないで、しかも相手をも傷つけないで生きていくことはできない

 生きていくうえで「自分が傷つく、傷つけられる」、「相手に傷つけられる、相手を傷つける」ということがありますが、「傷つく」とは具体的にどんなことを指すのでしょうか。 そのことをはっきりさせておく必要があると思います。 色々なケースがあると思いますが、要するに自分の思い通りにならない、自分自身や他人や社会に対して不満だと言うことではないでしょうか。 一例を挙げれば、

自分を理解してもらえない
言いたいことが言えない
他人によく思われない
悪口を言われた
根拠のない噂を流された
みんなと同じことをしても、自分だけはうまくできない
非難されなくてもいいようなことで非難された
相手が自分の思い通りにならない
人や社会を信じられなくなった
自分自身を信じられなくなった
自分には能力があると思っていたのに、実は思い込みに過ぎなかった

  私たちが陥る最大の過ちは、生きていくうえで自分は傷つかないで生きられる、自分は他人を傷つけないで生きられる、自分は他人に傷つけられないで生きられる、自分で自分を傷つけないで生きられると考えることだと言えます。 ここにすべての悩み、苦しみの原点があると断言させてもらいます。

  「人生に逃げ場はない」と同じことで、生きていくうえで傷つけられたり、結果的に自分や相手を傷つけてしまうことは絶対に避けられないのです。 このことは口が酸っぱくなるくらい、繰り返し言いたいことです。 このことは絶対に忘れてはならないことなのです。 絶対にです。

  その絶対に避けられないことを避けようとするから、自信を失い、やる気を失い、相手や自分を恨んでしまい生きていくことがつらくなってしまうのです。 避けられないことを避けようとすれば、だれでも生きることがよけいに苦しくなるのです。 人生は好調のときでさえも生きることは苦しいことが多いと思います。 それなに避けられないことを避けようとするから、ただでさえ苦しい人生がますます苦しくなってしまうのです。

  簡単なことではありませんが、生きていくことは元々つらいことだと割り切るしか方法はないのです。 ただ、考え方によっては、そのつらさを減らすことはできるし、そのつらさの中にこそ生きる喜びを見いだすことができるのだと思います。

  生きることがつらいといって現実から逃げてしまうことが、生きることがつらいといって現実をごまかしてしまうことが、生きることをますますつらいものにしているのだということを分かって欲しいのです。 つらいからといって閉じこもってしまったことが、生きることをますますつらくしてしまったのだということを分かって欲しいのです。

  あいつに騙されたから自分は今つらい生活を送っているのだいって相手を恨んでしまったから、生きることがますますつらくなってしまったのだということを分かって欲しいのです。 たしかに、相手が悪いこともあるでしょうが、そのことに心を奪われてしまったら、生きることが楽にはなれないと私の経験、体験からは言えます。

  自分と他人を比較して自分は劣っていると考えたことも、生きることをますますつらくしてしまっているのだということを分かって欲しいのです。

  「自分はいいやつだ」と相手に印象づけようとしたこと(八方美人)が、生きることをますますつらくしてしまっているのだということを分かって欲しいのです。

  お金もないのにあるふりをしたことが、生きることをますますつらくしてしまっているのだということを分かって欲しいのです。

  もうこれ以上書かなくても、私の言いたいことは分かってもらえるのではないでしょうか。

  最も重要なことは、自分や相手を傷つけたり、傷つけられないようにすることを考えることではなくて、傷つけたり、傷つけられたりしたときにどう対処すればいいのかを知っておくことだと言えます。 そのために、このホームページを作っているつもりです。 自分が傷つくことを避けている限り、自分が強くなることはできないのです。

 生きていくためには、自分が無意識にせよ相手を傷つけたり、結果的に相手を傷つけたりすることが避けられないと肝に銘じておくことが、必要不可欠だと言えます。 そして、同じ理由で相手に傷つけられたり、自分がよかれと思ってしてあげたことが相手に傷つけてしまうことも避けられないのです。

 このことを分かっているか否かは、人生の重荷を軽くもしてくれるし、実際以上に重くもしてしまうのです。 このことさえ分かっていれば、問題への対処の仕方も自ずから分かる可能性が高くなります。

 人は、それぞれ自分の考え方と、それに基づく生き方でしか生きられないのですから、相手は「このように考えているのではないか」と思っても、それが的外れと言うことは決して珍しいことではないのです。 相手は相手なりの考え方と生き方でしか生きられないのですから。 自分が相手に「よかれ」と思ってしてあげたことが、相手には迷惑だったということは、長い人生の中では数限りなくあるのです。

 ここに食い違いが生じてしまうのです。 ある意味、人生はお互いの食い違いの連続と言ってもいいかもしれません。 だから、結果として傷つけたり、傷つけられたりすることは避けられないのです。 たとえ、善意であってもです。

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