苦しいとき、つらいときに逃げるから、ますます苦しくなる

 このことについても、幾度となく書いてきましたが、ここで改めて書いてみます。 人間だれしも苦しくなれば、その苦しみを和らげるために現実から逃避したくなるのは当然でしょう。 ある意味では、人生はこの現実からの逃避との闘いだということもできます。 この闘いから簡単に逃げてしまう人が人生の敗者であり、この闘いに挑んでいく人が人生の勝者です。簡単に言えば。  闘いに勝つかどうかで人生の敗者と勝者が決まるわけではないと思います。 闘いに挑んだか、闘いから逃げたかが人生の敗者と勝者を決めるのではないでしょうか。 闘いの結果が人生の敗者と勝者を決めるのではないと思います。

  結果が悪くても闘いに挑めば勝者(一応は)、闘いから逃げながらも結果を出しても、それを勝者ということはできないと思います。 結果さえ成功すれば勝者、結果が悪ければ敗者とは限らないと思います。 闘いに負けても、自分で納得できれば、その人は人生の勝者と言えると思うのですが、いかがでしょうか。 世の中には個人の力ではどうにもならない時代の流れや、ときの運というものもあるからです。 みなさまのご意見をうかがわせてもらいたいのです。 

  苦しいときに現実から逃げてばかりいるから、自信を持つことができなくなってしまうのです。 失敗しても闘いに挑み続ければ、それなりの自信が持てるようになるはずです。 現実から逃げた、ごまかしたという事実が、その人の自信をなくしてしまうのです。 現実から逃げたという事実が、その人に自分には能力がないと思い込ませてしまうのです。 私もその一人でしたから、よく分かるつもりです。 なにかと理由を付けて現実から逃げるから、 自分で自分を信じられなくなり、自分で自分を頼りにすることができなくなってしまうのです

  その人にはじめから能力がなかったのではなくて、現実から逃げたという後ろめたさが自信を失わせ、そしてやる気が失せ、ついにはやることもなくなるから能力が本当になくなってしまうのです。 経験することがなくなるから、能力が身につかなくなって当然なのです。 いま自分の無力感に苦しんでいる人には、このことを真剣に考えて欲しいと念願しています。 この悪循環をどこかで断ち切らなければならないのです。 自分が私の言うことのどの段階で、無力感に陥ってしまったのかを真剣に考えてみれば、そこに現状から抜け出す方法が見つかるものと思います。 

  苦しくて、ときには現実から逃げることも必要ですが、いつかは問題に立ち返って真剣に取り組まなければならないはずです。 それは逃げたことにはならないと思います。 問題が大きすぎるときには、それ相応の助けを借りながら問題に対処していくことが必要なのです。 

  人生は自分の思うようにならないのが普通なのです。 生きることは苦しいのが普通なのです。 お釈迦様が、そう言っているではありませんか。 「人生は苦だ」と。 「人生は苦だ」とは、「人生は自分の思うようにはならない」ということだと私は理解しています。 生きていくとは、その思うようにならないこととの闘いなのです。 そのもっとも根本的なことから逃げようとするから、自信がなくなって当然過ぎるほど当然なのです。 厳しい言い方で申し訳ないのですが。 人生が自分の思うようになると思うこと自体が間違っているのです。 間違っている考え方にたてば、すべてはおかしくなって当然だと思います。 

  ところが問題はいまの親子関係において、多くの親が子供のためと信じて子供の言うことをすべて受け入れているから、子供は人生は自分の思うようになってあたりまえという間違った観念を持ってしまったことにあるのだと思います。 これがいまの青少年問題の根本です。 若者は「この世の中は自分の思うようにならないのが普通なのだ」ということさえ理解できれば、問題はこんなにも深刻にはならないはずです。

  人生は自分の思うようにはならないのです。 この鉄則を受け入れることです。 各人のいままでの人生を振り返ってみれば、このことは素直に理解でき、そして納得できるのではないでしょうか。 これが受け入れられない以上、苦しみは必ず続きます。 自分が本当に立ち直れなくなっても、苦しみは続きます。 それでも、いいのですか。 脅かすつもりは全くないのですが。

 だれでも、苦しいときは苦しいし、つらいときはつらいのです。 苦しいのに苦しくない、つらいのにつらくないように振る舞うから、自分を信じられない一因になるのではないでしょうか。 苦しいとき、つらいときに強がるから、自分を信じられなくなっていくのです。 人生は順風満帆なときばかりではなく、むしろその逆のことが多いように思います。 逆境にあるときはそれなりの、順調なときはそれなりの生き方、考え方が必要なのです。 ときに合わせた生き方が必要なのです。 そのためにも、多くのことを経験しなければならないのです。

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