生きていく上で、もっともリスクの高いこと

 生きるということは、毎日さまざまなリスクを背負っていると言うことです。 常にリスクと背中合わせになっていなければ、生きているとは言えないのではないでしょうか。 それを意識しているかどうかは、別の問題ですが。 言い換えれば、人生にはなにひとつ保証されたことないということです。

 親の保護、過保護に守られて生きている人が、もうひとつ生き甲斐を感じられないのは当然だと言えます。 そこに「生きるリスクがない」からです。 リスクのない生き方は安心には違いありませんが、長い目で見た場合安心でもないし、安全でもないのです。 むしろ、そのような生き方は長期的に見れば「もっともリスクの高い生き方」なのです。

 なぜなら、リスクのない生き方(現実には存在しませんが、リスクの少ない生き方と理解してください)は、現実と正面から向き合わない生き方、現実から逃げた生き方、現実を自分に都合のいいようにねじ曲げた生き方になるので、自分が現実と向き合わなければならなくなったとき、どうすればいいか分からなくなってしまうからです。 「どうすればいいか分からなくなった。」ということは、リスクに直面したことなのです。

 つらいことですが、リスクを背負って生きているからこそ、成功したときの満足感、充実感・達成感が得られるのです。 失敗したときは、失望、絶望、挫折感を味わうのです。 この世の中はすべてが相対的にできており、不安があるから安心感があり、満足感があるから絶望感もあるのです。 人生にはマイナスの面があって、はじめてプラスの面を認識できるのですから。  どちらか一方でも欠けてしまえば、生きることの意味はなくなってしまうのです。 マイナスなことはなくなって欲しいのですが、それがなくなればプラスの面もなくなるのです。 この世の中のすべてのことは、比較する対象がなければならないのです。

 この意味で、人生でもっともリスクの高い生き方とは「自分からは何もしないこと。 親任せ、他人任せで生きること(自分が責任を負わないこと)。 現実から逃げること。 責任を転嫁すること(世の中が悪いのであって、自分は悪くない)。」などなのです。

 このような生き方が自分を苦しめているのですが、本人には気づきようもないことなのですね。 親や他人に束縛されて生きることも苦しいことですか、そのようなことは分かりすぎるほど分かるのですが、自分が自分自身を束縛していることはほとんどの場合気がつかないのですね。 管理人も、そのひとりですが。 いまは、少しは分かってきたと思います。

 生きることを楽にするには、自分がリスクをとって積極的にいろいろなことを経験するしかないのです。 「人生に逃げ道はない」のです。 一時的には自分がいまよりも傷つくことを避けていては、生きることが楽になりようがないのです。 いま傷つくことの先にしか希望はないのですから。 苦労、挫折の先にしか、希望は見えてこないのですから。 それを信じて生きるしかないのです。

 苦しみを経験したからこそ、生き甲斐も見つかるのです。 このことは経験した人にしか分からないことです。 決して、経験する前には分からないことなのです。 過去を振り返ったときに、「あぁ、あのときあんなことがあったから、いまの自分があるのだ。」と理屈抜きで納得できる日が来るのです。 逆に、いい加減に生きていれば「あぁ、あのときあんなことがあったから、自分は苦しんでいるのだ、惨めな思いをしているのだ。」と責任転嫁し、世の中を恨んでしまうと思います。

 実は、もっともリスクが高いと思っていたことが、長期的には生き方を楽にしてくれるのだと思います。 皮肉なことなのですが。

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