迷ったら原則(基本)に戻れ

 人間だれしも日々の生活や仕事は、迷い(試行錯誤と言ってもいいでしょう)の連続です。 悩んでいたときには非常に大きな問題だと思っていたことも、解決してみれば大した問題ではなかったり、逆に大したことはないと思っていた問題が実は大問題だったということがよくあります。 私の人生はいまになって考えてみると、まさに赤面の至りだったということが多すぎたような気がします。 しかしあとで書きますが、このことは自分の人生には決してマイナスにはなっていなかったのです。 これは大変重要なことなので後で詳しく書きたいと思っています。 人は試行錯誤を重ねてこそ、成長できるのです。 試行錯誤のない成長はあり得ないのです。

  恥かき、汗かきの連続こそが生きることです。 自己弁護をしているのではありません。 もし恥をかかない、汗を流さない、涙を流さない人生があったとしたら、それは見せかけの成長であると断言できます。 このサイトをご覧になっているみなさんも、自分の人生を振り返ってなにが自分を成長させてくれたかを考えてみれば、分かってもらえるのではないでしょうか。
 失敗こそが人をもっとも成長させてくれると、いまになって確信できます。

 つらくことですか。 これが真実だと確信しています。

  話が少し本筋からずれたので本題に戻ります。 人は調子のいいときにはいいことが続き、いったん調子が悪くなるとよくて当たり前と思えることも悪くなってしまうことは、だれしも経験することだと思います。 なぜそうなるのか私には断定的に言うことはできませんが、悪循環が続くことについては次のようなことが言えるのではないでしょうか。 すなわち、調子が悪くなると意識的、無意識的を問わず考え方が消極的になり、やるまえから悪い結果を予想しがちになったり、問題解決の糸口が目の前にあるのに考え方が狭く消極的になっているために気がつかなかったりして、本来はよくなって当たり前のことも悪い方向に進んでしまうのではないでしょうか。 さらに悪いことは、悪いことが続くために萎縮してしまい、ここに悪循環を繰り返してしまうのだと思います。 このような悪循環はなにかのきっかけさえつかめれば、絶つことのできるものだと思います。 プロ野球の選手が一本のヒットをきっかけとして、立ち直ることによく似ているような気がします。

  人は道に迷えば、迷ったと思われるところまで引き返すことを知っていて、実際に迷ったと思われる場所まで引き返してもう、もう一度歩き始めます。 しかし人生で迷ったときには迷ったと思われるとこるまで引き返して、考え直すということはなかなかできないものです。 なかには引き返す途中で、また迷ってしまう人もいますが。 人生のどの時点で迷ってしまったのか(これがむずかしいのですが)を特定できれば、問題の半分以上は解決したと言っても過言ではないかもしれないのです。 

  迷ってしまうと、「どうしたらいいのだろう」とばかり考えてしまいがちであり、「なぜ、どこで迷ったのだろう」とは考えられないものです。 「どうしたらいいのだろう」と考えることは、原因をまったく考えていないのです。 原因が分からなければ、解決の方法を見いだすことはできないのです。 どこで迷ったのかを冷静に考えるということは、問題の渦中にある人にとっては難しいことだとは思いますが、問題解決のためには避けて通ることはできないことなのです。 そして「どこで迷ったのか」が分かれば、問題の解決はずっと容易になるはずです。

  
「迷ったら原則にもどる」ということを忘れなければ、人生という荷物は意外に軽くなるのではないでしょうか。 このとき大切なことは責任を相手に押しつけずに、自分の中に探さないと真の解決策は見いだせないことです。 責任転嫁ばかりしていたのでは、問題はなにひとつ解決できません。 私もできることならば相手に責任を押しつければ、気持ちが少しははれたような気分になれますが、気分の晴れることと問題が解決することとはまったく別のことなのです。 気が晴れることは、一時しのぎにすぎないのです。

 なにか問題にぶち当たったら、原理や原則に立ち返ることが、生きることを楽にしてくれると思います。

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