「泳ぎを覚えるまでは水に入ってはいけません」

  「泳ぎを覚えるまで水に入ってはいけません」という言葉は私が思いついた言葉ではなく、ある本の中にあった言葉を拝借したことをおことわりしておきます。 この言葉にはじめて出会ったときは思わず笑ってしまうとともに、本当に考えさせられてしまいました。 現在の日本のしつけについて、これ以上ぴったり当てはまる言葉は他に考えられないように思うからです。 泳ぎを覚えるまで水に入っていけないのなら、永久に泳ぎを覚えることはできなくなるではありませんか。 そんなことは子供でも知っていることです。 なのにいまの教育、しつけはその子供でも知っているバカなことを続けているのです。 そして多くの人が苦しみ悩んでいるのです。 そして子供達の起こす様々の問題を解決できないばかりか、原因さえも明確につかめていないのです。 原因を明確にすることは、確かに種々の要因が重なり合っているので困難なことは理解できますが、みなさまの批判を恐れずに言わせていただくなら、子供達の問題の原因は「泳ぎを覚えるまで水に入ってはいけません」にあると言わせていただきます。

  なぜいまの子供達が無気力で、無表情で、無感動で、無言で、自分の好きなことにしか関心がないのか。 子供達が、社会の影響を受けて自らすすんでそうなってしまったのでしょうか。 責任の多くは子供達にあるのでしょうか。 私は声を大にして、「そうではない」と言いたいのです。 子供達が多くの犯罪や問題を起こすようになったのは、大人達に責任の大部分があるはずです。 小利口な大人は、とくに政治家や文部省の役人や教育関係に携わる地方レベルの役人(教員はいちおう除外します、教員はむしろ被害者だと思います)は、自分たちの責任を追及されることを恐れて隠し通していますが、いまの教育制度に欠陥があるからだと思います。 もちろん制度が変われば問題はなくなるなどと、安直には考えていません。 いつの時代、どんな時代にも問題は尽きることはないのです。 

  子供達がなにかしようとすると、親は

あぶないから止めなさい
あの子は悪い子だから一緒に遊んではいけません
勉強しないと○○さんみたいになるから、勉強しなければだめですよ
みっともないから止めなさい
笑われるから止めなさい
そんなことをしても、なんの役にも立たないから止めなさい
失敗するから止めなさい
損をするから止めなさい
利益にならないから止めなさい
そんなことをするといい会社には入れませんよ
自分のためにならないから止めなさい
そんなつまらいことは自分はしないで、他の人に任せておけばいい
余計な関わり合いにってはいけません
知らない振りをしていなさい  (関わり合いになりたくないから)
みんなと同じことをしていればいい  (みんなと違うことはしていけません)
自分のことさえ考えていればいい
         ・ 自分以外の人はどうなってもかまわないということ
学校の試験では高得点さえとれば誉めるが、点数が低いと子供の人間として価値まで否定する
子供に母親が父親の、父親が母親の悪口をしょっちゅう言う
人を信じると、とんでもない目に遭いますよ
見てはいけません、聞いてはいけません、言ってはいけません

   まだまだあるとは思いますが、これくらいにしておきましょう。 「いけません」の連発ではないですか。 子供をしつけるときに、このようなことを言って子供をしつけてはいませんか。 これこそが、子供を取り巻く諸問題の根本原因だと言ったらどう思われますか。 ここのあげた言葉のすべては、「○○してはいけません」という禁止文句であって、子供を自発的に動かすような言葉はひとつもないことが重要なのです。 積極的な言葉は、「もっと勉強しなさい」くらいなものでしょう。

  子供は毎日親から、「○○しないで、勉強ばかりしなさい」と言われてばかりいたらどうなるでしょうか。 子供のときにしかやれないことまで勉強の邪魔になるからといって、親がしてやってばかりいたら子供はどうなるのでしょうか。 その結果がいまの青少年の問題になってしまったのではないでしょうか。 親が子供に対してほとんどすべてのことを取りあげて、勉強することばかり(あまり役にも立たないような知識だけ詰め込むこと)強要した結果が、いま目の前にある問題なのです。 あなたは小さいときは勉強が好きで、親から言われなくても勉強し、そしていい点数をとっていましたか。 そのあなたの親はどうだったのでしょうか。 私を含め大部分の親たちは勉強嫌いで仕方がなかったのではないでしょうか。 好きな科目ぐらいは勉強した記憶はありますが。 私は理数科系は嫌いで仕方がありませんでした。 結構赤点を取っていましたが、実社会にでてそのことがハンデになったことはありませんでした。 理数科の知識の必要のない会社に就職できましたから。

  私が言いたいことは、人間は年齢に応じて必ず通らなければならない道や、経験しなければならないことがあるということです。  そのことを親が先回りして取りあげてしまうから、子供が成長できないのです。 子供が成長しないから親は心配で、ますます子供のやるべきことを代わってやってしまうのです。 このことの悪循環が、子供の自立心をなくし一人立ちできなくし、親もいつまでたっても子供を手放せなくしてしまったのです。 この件に関しては、興味のある方は「親の子離れ・この親離れ」を読んでください。

  人生に「迂回路や遠回りはあっても、逃げ道はない」のです。 このことは前に声を大にして書いたはずです。 逃げてはならないこと、経験しなければならないことを経験させないから、知恵や思いやりやできないのです。 いまの子供に知恵や思いやりが全体として欠けていることには、このような背景があると確信しています。 そう仕向けてしまったのは親達なのです。 子供の自主性を取りあげておいて、「どうしてうちの子供は、ひとりではなにもできないのだろう」とは、親の身勝手も甚だしいと思います。

 まったくの「笑い話」としか言えないですね。 本当に「お笑い」ものです。 言い過ぎたかも、。 でも、「当たらずといえども遠からず」ですね。

  このようなことは親子の世代間で何代にもわたって引きずっていくことなのです。 どこかの世代の親が、このことに気がついて断ち切る勇気を持たなければ不幸は親子何代にもわたって続いていくのです。 私は、そのことに気がついた親になりたいのです。 不遜な言い方ですが、私はそうなりたいのです。

  批判はだれにでもできると怒られるでしょう。 私もそう思います。 このへんで私なりに、どうしたらいまのような状況から抜け出せるかを考えてみたいと思います。 そのためにこのホームページをつくる気になったのですから。 考えただけでは事態は好転しないことも分かっています。 要は実行するか、しないかの問題です。 常識や世間体の束縛を破って実行するか、しないかだけです。 私の子供は今年で18才になりますが、自分の子供を信じて余計なことには親として口を挟まないことがどんなに勇気のいることかは知っているつもりです。 自分の子供を信じるということは大変なことなのですね。 このことについては、いままで私の書いてきたことのすべてといいたいのですが、それでは答えにならないので、ここに書いておきます。 ご批判、ご意見をお待ちしております。 順不同になりますが、その点は大目に見てください。 自分の家庭や自分の子供さえよければ、それでかまわない、自分の家庭だけは大丈夫だと思っている方はとくに注意する必要があります。 そのような家庭の中から問題が発生する確率が高いのですから。

子供を親の欲望達成の道具にしないこと

  子供のためだと思って言ったり、しかったり、勉強(知識の詰め込み)させていることが実は親の見栄(満足)や、親の心の不安を紛らわすためにしているのではないかということです。 「そんなバカなことがあるものか、自分は本当に子供のためを思ってしかったり、文句を言っているのだ」と反発する方も、ぜひこの点を考えて欲しいのです。 このような場合、ほとんどの親は心の底から子供のためだと思ってやっているはずなのですが、よく考えてみると親の自己満足のために子供が道具にされていることがあまりにも多いような気がします。 ほとんどの場合、親は無意識のうちにやっていると思うのです。 だからこそ子供は直感的に無意識の親の本心を見抜いて、反発するのではないでしょうか。 

  子供が有名私立学校の制服を着ていることは、「親の勲章」だそうです。 この言葉を見たときには、唖然としてしまいました。 開いた口がふさがらないとでも、言い直しましょうか。 これで親は本当に子供のしあわせを考えていると言えるのでしょうか。 

子供がやるべきこと、子供にさせるべきことを親が変わってしていないか

  本来は子供が成長していく過程において必要なことを、子供が苦労するのはかわいそうだからといって子供にさせないで、代わりに親がしていることが多すぎるのです。 その結果がいまのような青少年の問題を引き起こしてしまったのだと、私は自信を持って断言します。 「可愛い子供には旅をさせろ」と言うことわざがありますが、このことわざの意味を考え直してはどうでしょうか。 前にも書いていますが、人間は自分で経験しないことは、頭では分かったつもりでも、本当のところ(人間のもっとも大切な感情 … 人間に生きる意味を与えてくれるところ)ではなにも分かっていないのです。 単なる知識として理解しているだけなのです。 生きる知恵は知識からは生まれません。 知識として覚えたことを、経験を通して体で納得することによってはじめて知恵となるのだと思います。 子供にとって必要なことを経験させないから、いつまで経っても一人立ちできない子供が多いのです。 私に言わせれば青少年問題の原因は簡単なところにあるのですが、解決するのは容易なことではありません。 一人ひとりが私の主張しているようなことを自覚することによってのみ、問題解決の緒につくことができると思います。  

他の人の考えに振り回されない生き方をすること

  このことも何度も言ってきましたので、詳しくはそちらの方を読んでください。 また八方美人にならないことも同じことです。 この件については、他のページに詳しく書いてありますので、そちらを参考にしてください。

自分の意見をはっきりと主張できるようにすること

  これも前に書いてあることろを読んでください。 

現実から逃げないこと

  現実から逃げないことはもちろんのこと、現実を自分の都合のよいように解釈しないこと。 逆に都合悪く解釈することも、生きることをつらくするはずです。 現実をできる限り客観的に見ることが重要なのですが、これが至難の業なのです。 現実をありのままに受け入れるということは、ありのままの自分を受け入れるということと同じことです。 ありのままの自分を受け入れられないからこそ、悩みや苦しみが深くなるのです。 自分を偽ったり、だましたりすることは、苦しみを一時的に取り除くことに有効ですが、それで問題は解決しないばかりでなく、かえって問題は大きくなるだけなのです。
     

しっかりした人格は一朝一夕にはできないこと

  人生は毎日の小さなことの積み重ねであることを忘れないこと。 

個人主義と利己主義を取り違えないこと

  このことについては、いうまでもないとは思いますが、他のページに書く予定です。

協調と妥協を取り違えないこと

この件については、「協調と妥協」を読んでください。

失敗を恐れないこと

  失敗は人生の勲章です。 失敗から学ばない人を「愚か者」といいます。 私も他人のことは言えないのですがね。 失敗は生きていくために必要だから、この世の中にあるのです。 「失敗」については、別のページに詳しく書いてありますので、そちらを読んでください。

  書きたいことはまだまだありますが、これくらいにしておきます。 社会の現状を見ると、子供のしあわせを親が取りあげてしまっているのだと言ったら、あなたはどう思いますか。 親は子供の視点に立ってものごとを考えていると思っているのでしょうが、それが間違いのもとではないでしょうか。 個人の力ではどうにもならないと考えないで、自分一人だけでも信ずることを実行することが必要なときなのです。 千里の道も一歩からと言うではありませんか。

  まさにいまの社会は親が子供をいつまでたっても、自立できなくしていると言えます。 子供のわがままを親が簡単に受け入れてしまっているからです。 「泳げるようになるまで水に入ってはいけない」とは、よく言ったものです。 これでは肉体的には大人になっても、一人で生きていくことができないのは当然すぎるほど当然ではないでしょうか。 いいかげんに親が子離れしないと、もっとひどいことになってしまうかも知れません。 大人が自分の生き方に自信を持てれば、子供を取り巻く問題も自然に少なくなると思っています。

 いままではプールにも入れたことのない子供を、卒業すると「荒波の荒れ狂う大海」に突然放りだし、これからは自分の力と努力で生きて生きなさいといわれても、過保護に育った子供には無理な注文というものです。

  このページに書いていることは、他のページでも繰り返し書いていることです。 それだけ重要なことだと思うからです。

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