人間、一度にできることはひとつだけ

 多くの人は「こんなことは当たり前だ」と言うでしょう。 そう思っている人は読み飛ばしていただいてもかまいません。 でも、仕事がたまってきたり、忙しくなってきたり、受験の日が近づいてくると、あれもしなければ、これもしなければと気持ちだけがあせってしまい、どこから手をつけたらいいのか、なにをしなければならないのか分からなくなってくるものです。 こうならない人はしあわせ者です。 どんなに忙しい生活を送っていても、「一度にできることはひとつだけ」ということを忘れない人は苦労はしても、不必要に悩むことは少ない人のはずです。 

  人間は基本的には一度にできることはひとつだけです。 非常に多くのことをやり遂げている人は、同時にいくつものことをしているように見えますが、そのような人でも一度にできることはひとつだけなのです。 気持ちの切り替え方が上手なのです。 なぜ多くのことをやり遂げることのできる人と、なにもかもが中途半端になる人がでてくるのでしょうか。 忙しい人は手際よく仕事を次から次と片づけていきますが、忙しくないひと人はいつでもできると思ってなかなか着手しないひとが多く、そうでなければなんでも同時並行的にやろうとしているようです。

  優先順位(プライオリティー)が大切なのです。 いまの自分にできるこことできないことの区別が大切なのです。 自分の能力を知ることが必要なのです。 他人に嫌われることを恐れて、自分にはできないことまで引き受けることが自分をつらくするのです。

  仕事のできるひととできないひとの違いは

常に優先順位を考えているか
先送りしないかするか
一度に複数のことをしようとするかしないか
方法や考え方が常に一定か、その都度ばらばらか
ひとつひとつを確実に片づけようとするかしないか

  このようなところにあると思います。

  あせればあせるほど中身のない仕事や勉強になってしまいます。 あせってはいけないと知っていてもあせってしまうのは、日頃の態度と自分に対する自信の有無によるところが大きいと思います。 せっぱ詰まってくればあせるのは目に見えているのですから、日頃の努力が大切なのです。 メリハリの利いた生活と自分に対する厳しさが必要なのです。 こんな偉そうなことを書いている私もおそまきながら50才を越えてから、少しはできるようになってきました。 このようなことが若いうちにできればできるほど、後になっての苦労は少なくなりますし、仕事に関して言えば出世も早くなっていたはずです。

  ものごとは優先順位をつけたうえでひとつひとつ確実に処理していくことが、他の人よりも多くのことを成し遂げる方法です。 いくらやるべきことが多くたまっていても、一度にできることはひとつだけなのですから、あせらずにひとつひとつ確実に処理すること、これにつきます。 一度に複数のことに手をつけてしまうと、注意力が散漫になりよい成果はあまり期待できにくくなります。 一度にひとつのことに集中できるから自分でも納得ができ、みんなに誉められるような仕事ができるのです。 なにもかもが中途半端になることは、上司から見れば信頼できない部下であり、責任のあることは任せてもらえなります。 出世が遅れて、当然なのです。 自分は一生懸命働いたのに上司に認めてもらえないと思うひとは、このようなことを反省してみてはどうでしょうか。 私がこんな状況でしたから、よく分かるつもりです。

  ほかのところで何度も書いているように、人生に逃げ場はないのです。 いま苦労するか、後で苦労するかだけの違いなのです。 そして多くの場合、後で苦労する方がいまの苦労の何倍もの苦労になるはずです。 いま逃げても、いつかは捕まります。   だったらいま苦労しておいたほうが賢明だと思いますが、これがなかなかできないのです。 後になって後悔するのが関の山でしよう。 いま苦労しておけば将来に対して積み残していることがないので、これからのことだけに気持ちを集中できて、なにかに追い立てられるようなこともなく、毎日の生活が楽になるではありませんか。 

  それとも毎日追い立てられるような気持ちや不安を抱えて生活する方が楽しいのですか。 そんな人は一人もいないはずです。 いくら忙しくてもひまでも、一度にできることはひとつだけです。 先のことはあまり心配しないで、いまのことに専念しようではありませんか。 そうすれば先のことは、そのときになれば最善とも思える方法がきっと見つかるはずです。 これをうそだと思う人は、そういう生活をしていない証拠です。

  ひとつのことに集中できることは次のような効用もあります。 まず人の心には同時に二つの感情が住み着くことはできないということを理解してください。 いくつもの感情が同時にあるように見えるのは、一瞬のうちにあまりにも多くのことを考えているからです。 徒然草の著者の兼好法師も次のように言っているではありませんか。 人の心は一刹那(「いっせつな」と読みます)のうちにも千々に乱れると。 「一刹那」とは人が手を打ってパンと音を出すごく短い時間を言います。 その間を時間に直すと65分の1秒に相当するそうです。 だれが計算したのか知りませんが、ひまな人もいるものです。 こんなに短い間にも人の心は揺れ動くというたとえです。 このことと集中することの関係に戻ります。

  本当に集中していると、その間はほかのことを考えないで済むということです。 自分の具体的な例を挙げて説明します。 失恋して振られたときには、四六時中そのことが頭の中にあり、なにをしても上の空になります。 あきらめよう、あきらめようと思うと、かえってそのことが心の中を占領してあきらめられなくなってしまうものです。 このようなときにはどうしたらあきらめられるのでしょうか。
  ① あきらめきれないとあきらめる (開き直る)
  ② ほかのことに集中できるようにする
  ③ 時間に解決してもらう
 ①と③については別のところに譲ります。 問題は②です。

  何か集中できるものをみつけて、それに没頭できればその間は振られたことを思い出さないで済みます。 こんなときはなにもしないことが一番いけないことだと思います。 なぜなら振られたことしか思い出さないからです。 気持ちをほかのことに集中することによって、忘れることができるのです。 最初のうちはごく短時間かも知れませんが、このようなことを繰り返していれば思い出さないでいられる時間が長くなり、いつしか時間とともに忘れることができるのです。 よきにつけ悪しきにつけ時間は最大の薬です。 皮肉を交えて言えば、「喉元すぎて熱さ忘れる」ということもありますよね。
  

  一度にできることはひとつだけですから、優先順位をつけてひとつひとつ確実に処理するしかありません。 このことが生きることを必ず楽にしてくれます。

 一度にできることがたったひとつだけなら、優先順位を考えて、ひとつひとつ片付けていくしかありません。 自信のない人ほど、自分にはできないことまで引き受けてしまい、結果的になにひとつできなくなってしまいます。 私がそうでしたから。

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