人間関係でつらくなったら、どうすればいいのか

  ここでは人間関係でどうにもならなくなったらどうするかについて、考えてみたいと思います。 人間関係がつらくなる、苦しくなる、耐えられないとは、どんなことなのでしょうか。 それは「人間関係が自分の思い通りにはなっていない」ということだと思います。 それは相手との関係だけでなく、自分自身との関係においてもです。 

だれにも自分を理解してもらえない
なにをやっても、失敗ばかりしている
自分の言いたいことが言えない
自分のしたいことができない
仕事で同僚と同じことをして失敗しても、なぜか自分だけが怒られる
飽きっぽい性格で、なにごとも長続きしない
いつも自分は他人に利用ばかりされている
信じていた人に裏切られた
自分で自分をどうすることもできない
なにごとも他人と比較してしまう
いつも親の言いなりになっている
決断できない
身勝手で思いやりがない
すぐに相手を責めてしまう
頼まれると「いや」と言えない

 自分で自分が思い通りにならない理由は、それこそ千差万別です。

  「人生は自分の思い通りにはならない」ことは真実だと思います。 ともすれば他の人が明るく振る舞っているのを見ると、人生が自分の思い通りにならないのは自分だけだという錯覚に陥って、ますます自信を喪失してしまうことも多いのです。 程度の差こそあれ、だれだって自分の人生は自分の思い通りにならないのです。 ただお互いに他の人の心の内を知ることができないから、他の人は自分の人生を思い通りに生きているように見えて、自分の人生だけが思い通りにならないと思い込んでしまうのではないでしょうか。 だれもが自分の人生は自分の思い通りにはならなくて、苦しんでいることが分かれば、それだけでも心が軽くなると確信します。 

  悩みのない人はいないのです。 みんなそれなりの悩みや苦しみを抱えて生きているのです。 ただ、それが外からは分からないだけなのです。

  何回も書いてきたことなのですが、「どうにもならなくなる」とは過去の考え方を続けるかぎり、過去にしがみつくかぎり問題解決の糸口が見つからないことであり、考え方を変えれば糸口は見つかるかも知れないのです。 でも人間は新しい考え方で生きることを望みながらも、なぜか過去に執着してしまうもののようです。 変化を望みながら、現状を維持しようとしてしまうのです。 それだけ将来に対する不安の存在が大きいものと思います。

  個人の力で相手の心を変えることは難しいのです。 ましてや社会を変えようとすれば、無力感に苦しむことになります。 ある意味では個人の力は無力なのかも知れません。 でもあきらめてはいけないのですが。 個人の無力感を認めて、そのうえで努力する必要があると思います。 自分の家族さえ、夫婦の間でさえ相手を自分の思い通りにすることは、至難の業でしょう。 暴力によって支配することもできますが、それは例外です。

  相手の考え方を変えられないから苦しいのに、それでも相手を変えようとするから余計苦しくなってしまうのです。 どうにもならないことをどうにかしようとすれば、生き方が苦しくなって当然ではないでしょうか。 どうにもならないことには、自分の考え方を変えるしかないと思います。 自分の考えを変えるというと「負け犬」という印象がありますが、どうにもならないことで苦しむよりは、現実的な生き方を選ぶ方がいいと思います。 どうにもならないことにいつまでもこだわるから、心がすり減ってしまうのです。 やり方を変えれば、いままではどうにもならなかったことができるようになるかも知れません。

   信念や考え方を変えるのも、ときには勇気ある決断と思います。 いままで自分を苦しめるだけ苦しめてきた考え方にしがみつくのは、勇気ではなくて臆病、意地っ張りだからでしょう。 将来に対する不安が大きすぎるから、苦しくてもいままでの考えにしがみついていれば、なんとか生きてだけはいけると思ってしまうのでしょう。 それは勇気でもなければ、意地でもないと思います。 臆病だから考え方を変えることができないのだと思います。 

  自分を苦しめるだけ苦しめてきた古い考え方を捨てることは、信念を捨てることなのでしょうか。 周りの人からは「あいつは気の変わりやすい人間だ」と思われるかも知れませんが、そんな周りの評価は問題ではないはずです。 生きるも死ぬも他人の問題ではなく、自分の問題だからです。 自分を助けてやれるのは周りの人ではなくて、自分しかいないからです。 そのような心変わりは臆病ではなくて、勇気のある決断だと言えます。 「しあわせになれるように変わることがいけない」という理由はないはずです。 

  役に立たないことを捨てて、役に立つことを受け入れることは立派なことです。 過去にしがみつくと先が見えなくなるといいますが、まさにその通りだと思います。 役に立たないもの持っていても、重くて身動きがとれなくなるだけです。 役に立たないもは捨てるに限ります。 なにが役に立つものか、なにが生きるために負担になることなのかを、じっくりと考えてみてはどうでしょうか。

  過去のしがらみを捨てるには、さまざまな摩擦が起きるでしょう。 自分自身との葛藤、家族との葛藤、会社との葛藤、社会との葛藤、いろいろな摩擦が生じざるを得ません。 自分が変わるためには、このような摩擦は避けられないのです。 摩擦を少なくする努力は必要ですが、避けられない摩擦まで避けようとすれば自分は変わることはできないと思います。 だからこそ自信を失っていくのです。 一時的に誤解されることも、避けられないと思います。 過去の自分を捨てることには、それだけの抵抗がつきものなのです。 色々の理由で周囲のひとはあなたが変わることを止めさせようとするかも知れませんが、ひるんではならないと思います。 ゆっくり、着実に自分を変えていくことです。 ときには挫折も味わうでしょうが、それも避けられないことです。

  今苦しんでいる人は、苦しまないで生きる方法があると思っているかも知れませんが、どんな生き方をしても苦しみや悩みはつきまとうと思います。 その質は違うでしょうが、苦しみや悩みのない人生はないといえます。 私たちにできることは苦しみや悩みをなくすことではなく、苦しみや悩みの質や量を努力によって変えることくらいではないでしょうか。 いまの苦しみから逃げて別のところへ行っても、苦しみや悩みはついて回ると肝に銘じることが必要だと思います。 

  どうにもならないようなことをなくすることが大切なのではなくて、どうにもならなくなったらどうすればいいのかを学ぶことが大切だと思います。 なぜなら、人生は自分の思う通りにはならないことが普通だからです。 避けられないことの回数を少なくすることはできても、どうしても避けられないこともあるのですから、そうなってしまったときに「どうすればいいのか」こそが大切ではないでしょうか。そのことが分かっているといないとでは、ものごとを考えるときにまったく違った結論を引き出すことになります。 どちらが正しいとか正しくないとかの問題ではなく、考え方の問題なのですが。

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