そのときどきで最善と思われることをやるしかない

 「後悔」、なぜ後悔しなければならないのでしょうか。 そして過去のことを後悔しながら、一生を無駄にしてしまう人もいるのでしょうか。

  いま現に自分のやったことで後悔して、自分を責めたり、社会や相手を恨んでいる人に「自分を責めたり、社会や相手を恨んでもどうにもならないからやめな」と言っても、それは無理だと思います。 後悔することからは、なにひとつとして前向きの解決策は出てこないのです。 でも、後悔せずにはいられない、自分を責めずにはいられない、社会や相手を恨まずにはいられない、それが当たり前の人の心だと思います。

  後悔するのはあることをやって結果がで、その結果が自分の期待とはかけ離れているからでしょう。 後悔する度合いの深い人は、結果論だけでものごとを考えるからではないでしょうか。 結果論で考えれば、ものごとに失敗ということはなくなるからです。

  結果論でものごとを判断する人は、決してしあわせにはなれないと思うのです。 結果論でものごとを判断すると、下記のようにならざるを得ないのではないでしょうか。

失敗すれば自分を責める (「なぜあんなことをしてしまったのだ」)
失敗すれば社会や相手に責任転嫁をして恨んだりする
失敗すれば自分には能力や価値がないからだと思い込んでしまう
失敗すれば反省しないで、後悔ばかりしてしまう
成功すれば自信過剰になる (自分を過大評価してしまう)
成功すれば他人を見下してしまう

 

  では、どうすれば失敗しても過去にこだわらないで生きられるのでしょうか。  ここから書くことは私の過去を振り返ってみると、赤面の至りになることなのですが。 だからこそ、同じような過ちを繰り返して欲しくないと思っています。 一時的に過去を恨んだり、社会や相手を恨んだり、自分を責めたりすることは避けられないことですが、どうしたらいつまでも過去にこだわらないようになれるのでしょうか。

「後悔」、なぜ後悔しなければならないのでしょうか。 そして過去のことを後悔しながら、一生を無駄にしてしまう人もいるのでしょうか。

  このことは、非常に大切なことではないでしょうか。 

  すべてのことは、このことに関連してくるのではないでしょうか。 「ものは考えよう」と言いますが、本当に同じことでも考えようによっては、自分がつぶれる理由にもなるし、逆に発憤の材料にもなりうるのです。

  私が思うその方法とは、「そのときどきで最善と思われることをしたら、結果だけにこだわってはいけない」ということです。 言うことは簡単ですが、実行するとなると難しすぎることですね。 でも、そうしなければしあわせは遠のいてしまうと思います。

  いくら最善をつくしたと自信を持てても、結果は成功するとは限らないからです。 またそのときは最善と思っていても、あとから考えてみればもっといい方法はいくらでもあることが多いからです。 しかし大切なことは、そのよりよい方法はそのときには思いつかなかったのですから、仕方のないことなのです。 この仕方のないことをあきらめきれないところに、キィーポイントがあるのではないでしょうか。 

  ある時点で不可能だったことを可能と考えてしまうから、後悔ばかりの念を持ってしまうのだと言えます。 「ないものねだり」をしても、ないものはないのです。 なかったものをあると考えることに、すべての原因があるのではないでしょうか。 ある意味では、「あきらめる勇気」が持てないから、いつまでもどうにもならない過去にこだわってしまうのだと思います。

 「あきらめる勇気」、「捨てる勇気」も時と場合によっては、前進する勇気よりも必要なのです。 闘いや登山において一番難しいと言われることは、

退く勇気とタイミング
天候急変による登頂を断念する勇気

と、言われています。 私たちの悩みの多くは、「できもしないことをできるはずだった」と考えるところから生ずるのではないでしょうか。 このことは私生活や仕事の場においても、まったく同じことが言えると確信します。 そのときは考えようにも考えられなかったことを、結果を基にして可能だったと考えるから悩むのだと思います。

  では、どう考えればいいのか。 それは「そのときどきで最善だと考えられる方法を採用したら、その結果はどうであれ受け入れるしかない」と思います。 このことは毎日の生活のささいなことの繰り返しの訓練の中で、汗をかき、恥をかき、笑われながら、泣きながら身につけていくしかないことなのです。

  大切なことは、そのような訓練を意識的にやるかやらないかではないでしょうか。    

   大切なことは、そのような訓練を意識的にやるかやらないかではないでしょうか。    

 「そのときそのときで自分は最善をつくした」という自信を持てないから、いつまでも悩み苦しむのだと私の経験からは思います。 その時々で最善をつくしたと思えれば、結果が思わしくなくてもいつかはあきらめはつくのではないでしょうか。 逆に考えれば、そのときどきに最善をつくさなかったからこそ、いつまでもどうにもならない過去にこだわってしまうのだと思います。

 ここでも自分に自信を持てることが、いかに必要で重要なことかは分かると思います。 

 ひるがえって自分のことを考えてみると、私の半生の大部分はどても最善をつくしたとは言い難い生き方だったと思います。 でもいまはそのことに気がついたと思っています。 「その時々で最善をつくせ」と言うと、いつもいつも常に最善ばかりをつくそうとすれば心身共にすり減って「燃え尽き症候群」になってしまいます。 大切なときに最善をつくせばいいのであって、どうでもいいときはリラックスしていきればいいと思います。 人生のメリハリがないと、自分で自分の首を絞めてしまいますから。

  いい意味での「開き直り」が必要なのです。

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