いつまで補助輪のついた自転車に乗っているのか

 子供が自転車乗りを覚えるときは、補助輪のついた子供用の自転車で練習するのが一般的ですね。 次の段階は補助輪をはずし、その次の段階になれば大人用の自転車に乗ります。 生き方を覚えることも同じ事で、幼いときは一々親や周囲の人から教えてもらい、見よう見まねで覚えていきます。 補助輪がついていれば(親が側についていれば)転ぶこともないし(失敗することもない)、楽に自転車の乗り方を覚えることができます。

 しかし、人が生き方を覚える場合、この補助輪(親の保護)のはずし方がむずかしいのです。 自転車の乗り方がどれくらい上達したかは一目瞭然ですが、人の成長は傍目からは分かりにくく、人によっても見方が違うからです。 とくに、親の立場からすると、子供は何歳になっても子供としか思えないから、なおさら補助輪のはずし方はむずかしいのです。 早く独り立ちさせれば失敗する確率も高くなるし、逆に独り立ちが遅れれば依頼心の強い人間になってしまうからです。

 過保護とテレビゲーム、そして詰め込み教育で育った子供には、補助輪のはずし方がとくにむずかしいのです。 なぜなら、過保護、テレビゲーム・詰め込み教育は自主性に欠け、子供は受け身で育てられるからです。 いまの親自身がそのような環境下で育っており、社会や子供に対する理解が不足していることが多いのです。 そのような親が、子供を知恵ある子供に育てることは至難の業なのです。 親の補助輪もはずれていないのに、どうして子供の補助輪をはずすことができるのでしょうか。

 この意味で、いま社会で起きている問題は親の問題であり、社会のあり方の問題でもあるのです。 

 子供を自立させるために必要なことは、親自身が一人前になることがなによりも必要なことなのです。 親自身が独り立ちできていないのに、子供を独り立ちさせようとするから、よけいな問題や軋轢(あつれきと読みます)が生じるのは当然の成り行きだと思います。 親が右往左往してしまえば、子供もどうしていいか分からず情緒的に不安定になってしまうのです。 そんな親の心を子供は敏感に感じ取って、親に反発してしまうのではないでしょうか。

 子供の自転車の補助輪をはずす(子供を自立させる)には、親自身の自転車にまだ補助輪がついているのではないかと、自分を見直すことが必要です。 親子両方の自転車にまだ補助輪がついているなら(親子どもども自立できていないなら)、まず親自身が努力して自分の自転車の補助輪をはずすことが先決問題だと思います。 (自立できていない親に限って、自分は立派に自立していると思いこんでいる親を何人も見かけてきました。) モンスターペアレントは、その典型です。

 子供は親が生き甲斐を持って生き生きと生きている姿を見れば、情緒的にも安定し、自然に親の生き方を真似るようになるはずです。

 子供が補助輪をはずした自転車に初めて乗る(自信がないのに一人でやらなくてはならない)ときは、不安で仕方がないはずですが、いつかは補助輪のない自転車に乗らなければならないのですから、親は勇気と忍耐を持って子供を見守ることがなにより大切です。 ここで親が先回りして、自転車を押さえてあげるから子供が自立できにくくなってしまうのです。 子供が自立できていないということは、すなわち親が自立できていないなによりの証拠です。

 自分の面倒を見てくれる親が、いつまでも生きているわけではないのです。 いつかは、親に頼らないで生きていかなければならないのです。 パラサイトシングルなどと言っていられるうちは、まだましなのです。 そんな人でも、いつかは自分の足で歩いていかなければならないのです。 自立は基本的には、早いほうがいいのです。 その分苦労も多くなりますが、その苦労は必ず報われます。 人生に無駄はないのですから。

 失敗を恐れてなにもしないことが、人生では最もリスクの高いことになります。 失敗することももちろんリスクですが、そのリスクは勉強というかたちで、次になにかするときの役に立つのです。 何もしないリスクは、何の役にも立たないリスクのなかのリスクでしかないのです。 なにもしなければ、そのときは楽には違いありませんが、長い目で見ればなにもしないことが、最大のリスクを背負うことになるのです。 親の言いなりで生きれば、自分は何もしないでいいし、生活費も出してもらえていいことずくめのようですが、何よりも大切なやる気や自立といったものが失われるのです。

 「できるかどうか分からないけれどもやってみる。」ことが結果的には自分を守ってくれ、自信を持つことにも繋がるのです。 ただし、やってみることには失敗もつきものですから、その失敗を乗り越える覚悟が必要です。 そして、そのような覚悟は失敗という経験をしなければ、身に付かないものなのです。 この矛盾を乗り越えなければ、自信を持つことはできないのです。

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