人生の転機はいつでもある

 私たちは「人生の転機」というと、なにか大きなできごとのように考えがちですが、はたして大きなことばかりが人生の転機なのでしょうか。 大きなことが人生の転機となる可能性が高いことは当然ですが、大きなできごとだけが人生の転機と考えてしまうのは、常に問題意識を持っていないからではないでしょうか。 この頃、そのように思えるようになってきました。 常に問題意識を持って生きていれば、どんなささいなことでも人生の転機になり得ると思います。 このことを書いているときが私の転機かも知れません。 夫婦でちょっとしたいさかいをしたことが、転機かも知れないのです。

  人生の転機とは、そのときにこれが人生の転機だと分かることは少ないと思います。 気がついてみたら、「あのことが、人生の大きな転機だったのだ」というのが正直なところではないでしょうか。 要は、そのことに気がつくかどうかということです。 転機を転機と気がつかないから、毎日を漫然と暮らしているように感じるのだと思います。 結婚や就職が「人生の大きな大きな曲がり角」なことは論を待ちませんが、日常生活のありふれたことが大きな転機になることも少なくないのです。 ただ自分では意識できないでいるだけです。

  人生の転機が、

いつ
どんなかたちで

  現れるのか、それはだれにも分からないことです。 だから過去を振り返ってみたときに、はじめて「あんなささいなことが、自分の人生の転機だったのか」と驚くのだと思います。 なにが転機になるのかは、ひとりひとりの問題意識の持ち方にかかっていると思わざるを得ません。 問題意識を持っていないと、せっかくのチャンスを見逃してしまうことになるのです。 問題意識のない人はどんなに人生のチャンスや危機が訪れても、チャンスをつかむことはできないのです。 そして「自分はついていない」と嘆くのです。 ついていないのではなくて、チャンスをものにできないだけなのです。 このことを勘違いしてしまうから、社会や相手を呪ってしまうのではないでしょうか。 いま問題を引き起こして社会問題になっている人のことを見るにつけ、読むにつけてもそう思わざるを得ません。

  かく言う私も、いまのチャンスを逃しているのかも知れませんけれども。 たったいまが転機なのだと思います。 「人生の一大事とはただ今のことなり」と言った人がおりましたが、さまにそのとおりなのです。 でもそれに気づいても、実行することはもっと難しいのです。

  今度同じことがあったら、今度なにかあったら自分は変われるということは、結局死ぬまで自分は変われないことなのです。 このことは「先送りとその場しのぎ」と同じことです。 でも自分は変わったかといって、一度になにもかもが変わるわけではありません。 やっぱり失敗を繰り返しながら、少しずつ変わっていけるのです。 だから決断してもなにも変わらないと諦めてはいけないのです。 少しずつ、少しずつ変わっていくのです。 そのわずかばかりの積み重ねこそが、大きな財産になるのです。

  自分が変わったからと言って、悩みや苦しみがなくなるわけではないのです。 このことは重要なことです。 自分が変われば、悩みや苦しみの質が変わるのです。 いままでは耐えられなかったような悩みでも、その悩みの意味が分かって、その悩みを反省材料として自分が成長できるようになれるのです。 私は、そう信じて毎日の悩みや苦しみに向かうようにしているつもりです。 経験だけが人間を成長させてくれるのですから。

  「いまは悔い改めのとき」と、よくある宗教の特定の宗派が街頭でスピーカーを使って流していますが、人生はすべてのときがチャンスだと言っているような気がしてなりません。

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