いまさえ楽しければ、それでいいのか

  よく「いまを楽しむ」とか、「いまが楽しければ、それでいいではないか」という言葉を耳にしますが、本当にそれでいいのでしょうか。 私は「いまを楽しむ」ことに異を唱えるのではありません。 むしろ大賛成です。 この言葉には、重大な見落としがちなことがあると思うからです。  それは現在の環境や状況が、変わらないという前提に立ってしまうことが多いからです。 いまの状況に満足したり順応したりして、将来への努力を怠りがちになってしまうと思うからです。 将来への努力をしながら、なおかついまを楽しんでいるならなにも言うことはありません。  しかし多くの場合、ただ単に将来への努力なしに、刹那的に生きてしまうことが多すぎるのではないでしょうか。

 「あとは野となれ、山となれ」の精神では、決して生き甲斐を見つけられないし、感じられないのです。 刹那的、享楽的な生き方は、必ず行き詰まるのです。 そして、行き詰まるとますます刹那的、享楽的な生き方をしてしまうのです。 この連続で、人生は雪だるま式に転げ落ちていくのです。

 将来の準備がないままで生きてしまうから、なにか起きたときにどうにもならなくなったり、どうすればいいのか分からなくなって、衝動的、短絡的な行動にでてしまうのだと思います。 将来への準備もしないで「いまを楽しもう」としているから、なにをしていても不安になってしまうのではないでしょうか。 だからどんなに楽しいことをしていても、楽しくは感じられないのだと思います。 言い換えれば「先延ばしやその場しのぎ」の生き方をしているから、不安が絶えずつきまとうのです。

  「この楽しみはいつまでも続くものではない」ということを、直感的、経験的に知っているからです。

 なにごとも中途半端だから、いまを楽しむことができないのです。 いまを楽しく生きるためには、将来への準備が欠かせないのだと思います。 それは「いまを大切にして、自分で自分を誉めてやれるようにがんばること」、それしかないのです。 そしてそれは苦しいことなのです。 だから自分に甘い人はその苦しみに耐えられなくて、享楽的な生き方をしてしまうのです。

  メリハリのある生き方が必要なのです。 遊ぶときは一生懸命遊ぶ、勉強することは一生懸命がんばる。 このことが自分に充実感をもたらし、そして自信が持てるようになることだと思います。 メリハリの重要性については、いまさら言うまでもないと思います。

 大切なことは、今を楽しむことではなくて、今を一生懸命に行きいことさえできれば、将来に明るい希望を持てると言うことだと思います。

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