人生は、なぜ行き詰まりやすくなるのか

 ここで扱う行き詰まりは、精神的な行き詰まりです。 だれでも挫折を経験したことのない人はいないと思います。 ある人は立ち直り、ある人はいまだに立ち直れないで、心の傷を引きずっているかも知れません。 心の傷を一生涯癒せずにいる人も少なくないと思います。 過去の思い出に生きたり、相手を恨むこで生き甲斐を見いだしたりしている人もいるでしょう。 挫折した人が比較的短期間に立ち直ったり、あるいは長期間その影響を引きずったりするのはなぜなのでしょうか。

  先ず行き詰まるとどうなるか、

ものごとを積極的に考えられなくなる
       ・ 悪循環を繰り返す
責任転嫁をしがちになる
自分のことしか考えられなくなる
べつの解決策があるなどとは考えられなくなる
       ・ 思考がどうどうめぐりする
問題の真の原因が分からなくなる
ものごとを全体的にとらえられなくなる
       ・ 視野が狭くなる
他人を信じられなくなる
さらには自分をも信じられなくなる

  ほかにも色々とあるでしょうが、これくらいにします。

  問題の解決が長くなる一番の理由は、原因を自分以外の相手に求めるからだと思います。 原因を社会や相手に求めると、

自分の責任を一時的に免れる
       ・ 自分を責めないで済むので、自尊心に傷が付かない
社会や相手を恨むことになる
       ・ 恨みは人間の本性の中でも、もっとも消えにくいものなのです
真の原因を分からなくしてしまうことが多い
自分はなにをしてもかまわないと言う身勝手(利己的)に陥る
       ・ 責任は相手にあるのだから
       ・ 相手をけなしてさえいれば自尊心は保たれる  (心の安全弁になる)

  この結果本当の自分を見つめる機会を失い、恨み、つらみねたみ、そねみだけが残り人間的成長が阻害されてしまうのです。 人間的に成長していない人は、悪いことは他人のせいにすることによって、自尊心を保とうとすることが多いのではないでしょうか。 人間は多くの場合相手から受けた恩は忘れやすいし、恨みは残りやすいものです。 かく言う私もそんな一人です。 恨みは真実を隠し、問題の解決を遅らせます。

  原因を自分のなかに求めると、

自分が責任を負う以上、原因を知ることが必要になる
自分で考えなければならない
       ・ 自分で考えることが人間的成長になる
本当の自分の姿をみつめざるを得ない
       ・ よりよい自分へと努力するようになる
自分への責任をまっとうすることが信頼感を増す
最終的な責任が自分にあることの自覚が軽はずみに行動をしなくさせる
       ・ 社会や相手に迷惑をかけないように努力することになる
自分を責めすぎることにもなりかねないので注意が必要になる
       ・ 自分に責任を持つということは、自分を責めることではない
       ・ お互いの責任を明確にすることで自分を責めすぎる危険性を回避できる

  多くのことは責任がどちらか一方にあるというよりは、お互いに責任のあることが多いものです。 (相手に責任を負わせたくなるのは、人情として分かりますが。) 問題の原因を自分のなかに求めるといっても、「相手の言うとおりにしなさい」と言ってるのではありません。 相手に強硬に言われて相手の言い分を飲むことになっても、「相手に強硬に言われたので相手の言うことをきく」ということを、自分が決めたという意味で自分の選んだ道なのです。 なぜなら、自分に信念があったり、気が強ければ(いい意味での強う心)相手の言い分を聞かなくても済んだかも知れないのですから。 相手が自分の決断を決定するのではなく、自分の心のあり方が決断を変えさせるのではないでしょうか。 回りくどい言い方なのですが。 でも、相手に押しつけられた、相手の言うことを聞く以外に道はなかったと言えば、自分の責任を一応は回避できることが問題なのです。 言い訳の常套手段の一つなのです。 

  行き詰まりの多くは、、自分の責任をさておいて相手だけを責めたり、恨んだりするからではないでしょうか。 自分の責任において考えれば、一時的には行き詰まることがあっても必ず道が開けると思います。 また利己的に考えることも、行き詰まる原因の一つだと思います(難しいことですが)。 我々は利己的に考えがちな動物なので、連帯感からしか得られない感動や思いやりが得られなくなるのだと思います。 社会性を無視して、自分の殻に閉じこもってしまうから、なにも見えなくなるのではないでしょうか。

  原因を相手の言動にのみ求めると、相手の気持ちや考えを変えなければ自分の気持ちは収まらなくなります。 しかし他人の心を少しはコントロールできても、最終的には人の心を自分の思うように変えさせることはできないのです。 奴隷の肉体を支配できても、心までは支配できないのと同じです。 そのできないことをやろうとするから、行き詰まるのではないでしょうか。 

  他人の心を支配できなければ(相手の考え方を変えることができなければ)、自分の考え方を変えるしかないのです。 他人の心も支配できない、自分の考え方を変えることもできないのでは、どうにもならなくなっても不思議ではないのです。 すべての問題は自分の心のあり方の問題なのです。 とは言っても、つらいときに社会の連帯との関連で自分を考えることは、並大抵のことではないことは承知しています。

 人生が行き詰まる最大の理由は、やっぱり自信と勇気、そして思いやりが少ないからだと思います。 私も人様に大きなことは言えないのですが、それではこのサイトを閉鎖しなければならなくなりますので、そこのところは大目に見て下さいね。

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