自分の荷物を自ら重くしてはいないか

 人間はだれでも悩み、苦しみや不安も背負って生きています。 それなのにある人はなんの悩みや苦しみや不安がないように生きていたり、またある人は世の中の悩みや苦しみや不安を一人で背負って生きているような顔をしています。 明るく生きている人には本当に悩みがないのでしょうか。 また苦しそうに生きている人の悩みや苦しみは、本当にそんなに大きいものなのでしょうか。 同じ社会に住んでいながら、どうしてそれほどの違いがでてくるのでしょうか。

  悩みや苦しみや不安とは、一体どんなものなのでしょうか。 それが分かれば悩むこともなくなりますね。 これらは感情の一部であり、感情は目に見えないだけに、その解決にはいっそうの困難が伴います。 そしてなにより大切なことは、感情には理屈が通用しないということです。 解決法も各人各様であり、その人に合った解決法を考えなければなりません。 自分ではあっさりと考えていることが重要な問題であったり、自分が死ぬくらい思い悩んでいたことが、実はそんなに深刻な問題ではなかったということもあります。 このようなことがなぜ起きてしまうかと言えば、その問題を受け入れる人の考え方次第で大きな問題にもなり、さほどの問題にもならないからです。 もちろん客観的に見て、問題の重要度合いが自ずから決まってくる場合も多くありますが。 

  「ものは考えよう」と言いますが、まさに考え方次第によって、その人の人生が苦しくもなり、楽しもなります。 (全部が全部という暴論は吐きませんが。)  いくら考え方次第だと言っても、苦しいことは苦しいのに変わりはないし、悩みがなくなるわけではないのです。 一人ひとりの背負っている荷物の大きさや重さ(悩み、苦しみ、不安などの総体)は、当人でなければ分からないし、同時に分かっているようで、一番分かっていないのも当人という場合が多いのです。 

  私のホームページは、まさにこうしたジレンマに陥らないで済むにはどうしたらいいのかを、自分の経験に即して書いているものにほかなりません。 他人の荷物(悩みや苦しみ)は小さくてしかも軽く見え、自分の荷物は大きくてしかも重く感じられるのが普通の状態でしょう。 だからこそ、人間は劣等感に悩んだり、他人をうらやんだりするのだと思います。 自分の荷物の中身は真綿かも知れません。 この荷物は大きいけれども、軽いはずです。 他人の荷物の中身は鉄のかたまりかも知れません。 この場合は小さいけれども、とても重いはずです。

 このように人生で背負っている荷物は、自分が背負ってみなければ本当のところは分からないのが真相ではないでしょうか。 しかし人生の荷物というものは、考え方一つ、背負い方ひとつで軽くなったり、重くなったりもするのです。 重い(苦しい、つらい)と思えばどこまでも重くなっていくものなのです。 最後には自分をもつぶしてしまうのです。
 

  問題は自分だけが重い荷物を背負っていて、他人の荷物は軽いものなのかということです。 人間だれしも他人に自分の弱みを見せたくないので、心配事がないようなそぶりをしているのではないでしょうか。 そのそぶりを真に受けて、他人様には悩みはないのだと考え違いをしていることが多いと思うのです。 とくに自分が苦しんでいるとき、とくに劣等感で悩んでいるときは、そう思いがちなのです。 ここから大きな間違いが生じてきます。 自分だけが苦しんでいて、自分には問題解決の能力が欠けているのだという劣等感を生ずるということです。 たんなる思い違いから劣等感に陥り、自分の生き方を苦しくしているとしたら、なんたる悲劇でしょうか。 

  生きていく上で悩みや苦しみや不安は避けられないものなのです。 避けられないことならば、上手に処理する方法を身につけることがなによりも大切なことではありませんか。 学校で学ぶ知識よりも、人生の諸問題を上手に解決できる知恵を身につけることの方が重要なことではないでしょうか。 いくら知識があっても、その知識の活用の仕方が分からないとしたら、なんのために苦労して知識を身につけたのか、まったく意味をなさないではありませんか。 知識は活用してこそ意味があるのです。 知識を活用するには、知恵が必要なのです。 このようなことを教えてくれる組織や人が少ないことがいま問題なのです。 経済的理由以外で自殺する人が急増している現状には、心が痛む思いです。 いかなる理由にせよ自殺する人が多いことには、心が痛みます。 自殺した人は本当に自殺するくらいの問題だったのでしょうか。 考え方さえ変えることができれば、解決法さえ知っていれば、自殺しないで済んだかも知れないのです。 多くの場合は自殺しないで済んだと思うのです。 ただ、考え方を変える機会に巡り会えなかったことが不幸だと思うのです。

  この意味で出会いというものは、人の一生を左右してしまうものなのです。 自分の殻に閉じこもっていては、唯一のチャンスであるで出会いの可能性さえもなくしてしまうではありませんか。 生きることの悩みを大きくするも、小さなものにするのも、一人ひとりの決断と考え方次第なのです。 あなたは悩みの多い人生をお望みなのですか。 それとも悩みの少ない人生をお望みなのですか。 私なら、後者を選びます。 だれだって、そうでしょう。

  それでも悩みや苦しみは、避けられないものなのです。

  生きていくかぎり悩みや苦しみは絶対になくならないのです。 そして、問題も解決するとは限らないのです。 このことは別のページに書いてありますが、人生の諸問題は自分一人が解決しようとしても、解決できないことも多いのです。 相手のある話ですから。 大切なことは解決することよりも、どのように問題に対処するかということだと思います。 そして、どこまで行ったらケリを付けるのかいうことです。 自分の全力を尽くして問題に対処すれば、たとえ解決できなくてもあまり苦しむことはなくなるのではないでしょうか。 それ以外に方法がなかったからです。 人間は本当にどうにもならないことには、意外に耐えることができるのです。 あきらめと言ってもいいかも知れませんが。

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