知っていることと、経験して知っていることとでは意味がまったく違う

 私たちは知ってさえいれば(知識さえあれば)、なんでもできると思いこんではいないでしょうか。 しかし、知っているだけでは現実の問題に直面したときに、有効な手はほとんど打てないのではないでしょうか。 少なくとも、管理人のつたない経験からはそう思います。

 知っているということは、その結果を経験として味わっているということではないので、知っているだけではなかなか決断できにくいものなのです。 決断するには、どうしても過去の実績がものをいうのです。 どんなに頭で理解していても(理屈で理解していても)、経験という実績が゛ないと尻込みせざるを得なくなるのです。 だからと言って無理に決断しても、成功の確率は低いものにならざるを得ないのです。 それが自信と密接に絡み合っているのです。 だから、ものこどを知っているだけでは、あまり役に立たないことが多くなるのです。

 逆に経験しているということは、成功だったにせよ、失敗だったにせよ一応の結果が出ているので、決断しやすくなるのです。 前回失敗に終わっていれば、今回は別のやり方でやってみるという選択肢を選ぶこともできるのです。 この意味で、過去の経験は失敗でも現在に活かされているのです。 「今回は前回と同じやり方をしてはダメだよ」という意味で。

 だから「もっと楽に生きてみないか」に書いているように、経験することが大切なのです。 汗水を流して、喜怒哀楽を繰り返し、そのなかから自分に合った生き方を探さなければならないのです。 これはだれにとってもくらく苦しいことなのですが、この過程を経なければ自信を持つことはできないし、生き甲斐のある人生を送ることもできないのです。

 そして、失敗にくじけず、失敗や他人の生き様を反面教師として自分が成長できたときに、「人生に無駄はないのだ」と実感できるのです。 人生に無駄があるのは、失敗からなにも得られなかったときです。 失敗を反省材料にできる限り、人生に失敗はないのです。 失敗を失敗のままに終わらせてしまうから、何もできなくなってしまうのです。 失敗したら、この次は別の方法でやってみなさいと失敗は教えてくれているのです。

 なによりも大切なことは、知っていることを実生活のなかで活用することです。 そして、なにがどんなときに有効なのか、どんなときにどんなことをしてはならないのかを、体を通して覚えることです。 これが成長ということだと言えます。 いつも同じような失敗を繰り返すということは、現実の失敗からなにも学ばないからです。 現実は何のためにあるのか。 現実は自分が成長するための、唯一の道具なのです。 つらい・苦しいといって現実から逃げることは、自ら成長の道を閉ざすことになるのです。

 現実から逃げても、生きていく限りは別の現実と向き合わなければならないのです。 その新たな現実からまた逃げることを繰り返していけば、生きることがつらくなって当然なのです。 ただでさえつらい現実を、ますますつらくしてしまうのです。 自分が楽になろうとして現実から逃げたことが、よけい苦しくしてしまうのです。

 自分の知っていること、学んだことを現実で補強することが大切なのです。 その裏打ち(補強)だけが自信の元になるのですから。

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