悪気がない分だけ、問題がこじれてしまうことも多い

 「小さな親切、大きなお世話」という言葉があるように、親切とおせっかいの境目は人により受け取り方が違うので、大変微妙な問題を生じがちです。 自分はなんの疑いもなく親切心でしたことが、相手におせっかいと受け取られることは枚挙にいとまがありません。 ここでは、このような問題を考えてみます。

 自分は親切心でしていることに対して、相手から「やめてくれ」と言われて憤慨したり、とにくお酒の席で「もう、結構です」と言われて「なんだ、俺の杯を受けられないのか」と怒り出す人もいます。 いまは少なくなりましたが、私の若いとき、そんな人が結構おりましたよ。 「俺の杯が受け取れないなら、いますぐ帰れ」なんていう人もおりました。 また、相手にしてみれば不必要なものを、「これは役に立つものだから」と言って押しつけて、いいことをしたと思いこんでいる人もいます。 このような人は、相手が喜ぶ姿を見るのがうれしいからあげるのではなく、自分を満足させるために善意を押し売りしているのではないでしょうか。

 また、自分にはまったく悪気がなくて、相手に善意を押しつけていることもあります。 自分に悪気がなくて相手に善意を押しつけると、相手はイヤな顔もできないので渋々受け取ってしまうことになります。 すると、あげた人は「あいつは善意の分からないやつだ」となりますね。 お互いにイヤな思いをし、人間関係にひびが入ることになります。 そして、もらった人は自分には不要なので他の人にやろうものなら、ばれればますます人間関係がおかしくなります。

 このように悪意のないことほど、誤解などが発生すると解決がむずかしくなるのです。 なぜなら、悪意を持ってした人にはそれなりの意識があるから、あまり相手を責め立てることができないからです。

 自分が無意識にしたことで相手に恨まれても(相手はそのことを言えないことが多い)、その原因が自分にあると言うことが分からず、相手に不信感を持ったり、ときとして相手を避難することもあります。 このような誤解は多く、そのようなことが人生に決定的な影響を与えることもめずらしいことではありません。、

 自分には悪気はないのだけれども、相手にイヤな思いをさせてしまうことは、生きていく限り避けられないことだと思います。 なにしろ、自分には分からないのですから。 そのようなことまで避けようとするから、なにもできなくなってしまうのだと思います。 とくにいまの社会では思いやりが希薄になってきており、このような問題も発生しやすくなっているのです。 

 自己中心で、人の心が読めない人に限って、トラブルを抱え込むことが多くなります。 悪気がなくて生じたトラブルは、なかなか解決できないものですね。 

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