生きていくことは、だれにとってもつらいこと

 徳川家康は「人生は重い荷物を背負って遠い道のりを歩くようなものだ」と言ったそうです。 天下の頂点に立った人間でさえ、いやむしろ天下の頂点に立った人間だからこそ、そう感じたのかも知れません。 人間は社会的な地位や境遇に関係なく、生きていくことはだれにとってもつらいことなのです。 お互いに他の人のつらさが分からないから、他の人には生きるつらさがあまりないように感じるのでしょう。 自分だけが苦しい、自分だけがつらいと思うから他の人をうらやんだり、または自分に劣等感を持ってしまうのではないでしょうか。 

  他の人が楽しそうにしているからといって、果たしてその人には悩みや苦しみがないのでしょうか。 そうではないと思います。 その人なりの悩みや苦しみを抱えていても、様々の理由からそのことを表に出さない、あるいは出せないだけだと思います。 他の人も自分と同じような悩みや苦しみを抱えて生きているのだと分かれば、他の人をうらやんだり、劣等感に悩むことも少なくなると思います。 そして自分だけがつらい思いをしているのではないということが、どれだけ自分を救ってくれることか。   

  多くの場合、人は最良の状態で生きていても、生きることには苦しみや不安がつきまとうのです。 たとえば恋をしている人にとって見れば、いつ相手に捨てられるかも知れないという不安がつきまといます。 深く愛していればいるほど、その不安も大きくなるのではないでしょうか。 しあわせの絶頂にある人にとっては、いつ、この幸しあわせが終わりを告げるかも知れないという不安がつきまといます。 お金持ちの人は、いつ財産を失うかと心配しているかもしれません。 政治家や官僚は、いつ失脚するかと心配しているかもしれません。 数えだしたらきりがありません。 不安のない人はいないと思います。 ただ、不安に押しつぶされてしまうか、はねのけるかの違いだと思います。 もちろん貧困や人間関係で苦しんでいる人にとっては、不安はいっそう大きなものとなります。

  問題が起こったときに対処の仕方さえ知っていれば、心構えさえ持っていれば、起きるか起きないか分からない不安にいちいちおののくことも少なくなると思います。 ここに「人生の問題はどう解決するかより、どう対処するかが重要だ」ということの意味があります。 問題がおきたときの対処法が分からないと、生きることはいっそう苦しくなるばかりです。

  いま明るく生きている人も、過去に他人には言えないような苦しみを味わったかもしれないのです。 だからこそ、いまを明るく生きられるようになったのかも知れません。 このことはどこかのページで詳しく触れます。

  「自分だけがつらい思いをしながら生きているのではない、他の人もみんなそれぞれに苦しみや悩みを抱えて生きている」ことが分かれば、生きることに少しは勇気を持てるようになるのではないでしょうか。 そして、他の人が克服できたなやみや苦しみを、自分も克服できるかも知れないという希望を持つことも可能なのです。

  だから、自分だけを理解してもらおうとすれば相手のことには関心が向かず、相手がいままでにどんなつらいことを経験してきたかも分からなくなるのです。 そして相手がいま明るくしあわせであれば、過去に苦しんだこともないのだと思いこみ、自分だけがつらい思いをして生きていると思いこんでしまうのでしょう。

  もっと相手に関心を寄せることができれば、「みんなが同じようにつらい思いを経験しながら生きているんだ。 自分だけがつらいのではない。」と言うことを理解できると思います。

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