自分の考え方でしか生きられない

 このことも言われてみれば当然過ぎるくらい当然のことなのですが、実生活や苦しんでいるときには忘れてしまうものだと言えます。 だから色々な軋轢や誤解が生じ、問題の解決が難しくなってしまうのです。

  分かりやすい例を引けば、他人の視線が気になって仕方がない、あるいは他人が恐ろしくて仕方がないということがあります。 自分がなにをしていても相手に見つめられているような気がする、なにか噂をされているように思ってしまうと言うことがあります。 確かにそれなりの理由のあることもあるでしょうが、多くの場合はその人の思い込みに起因することが多いように思われます。 自分が注視されていると思い込んでいるから、なにをしてもそのようにしか思えなくなってしまうのです。 実際には、他の人は自分が考えるほどは自分のことを気にしていないものなのです。

  そうは言われても自分が思い込んでいる以上、「他人はそんなにあなたのことを気にしていないよ」と言っても無駄なことです。 人間は、自分の考え方でしかものごとは考えられないからです。 考え方を変えられるようになるには、色々なことを経験して社会や人間や自分を知る以外に道はないと思います。 多くのものの見方や考え方を経験することで、自分の考え方を見直すことが必要なのです。 それなのに、自分の殻に閉じこもっているからなにも変えることができなくて、結局はなにも変わらなくなるのです。 そして自分を信じられなくなり、自信をなくしていくのです。

  謙虚な気持ちで社会や人間を見つめていれば、自分の考えは必ず変わるのです。 もともとそんなに自分がしっかりしている人はいないのですから。 いまはしっかりしている人も、昔はだめ人間だったのかも知れません。 大人の昔話を聞いてみれば、分かってもらえるのではないでしょうか。 そのためには現実と対決することを避けてはいけないのです。 現実を直視することを避けているから、なにも変えることができなくなるのです。 

  自分の考え方でしかものごとを見ることができないのであれば、自分の考え方そのものを確固たるものにすることがなによりも重要なことです。

  相手が自分を「このように見ているはずだ」と思っても、それは多くの場合自分ひとりの思い込みであったり、考えすぎであることも多いのです。 本当のところは相手に聞いてみなければ分からないことなのです。 自分の思い違いで社会や相手を恨んでいるとしたら、悲劇としか言いようがありません。社会や相手をみるためには、自分を磨かなければならないのです。 人間は自分の考え方でしかものごとを見られないからこそ、自分の考え方を明確に持たなければならないのです。 世の中の仕組み、常識、人間というもの特徴を知る必要があるのです。 そのためには努力するしかないのです。

  「自分だけがものごとの判断基準」なのですから、自分をしっかりと見つめることが大切なのです。 自分が苦しまないためにも、他の人の意見を聞くことも重要なのです。

  自分の考え方で生きることが自分をしあわせにしてくれるのに、常識の波にのまれて生きてしまうから生きることがますます苦しくなるのだと思います。

 自分の生き方をなおざりにし、他人の生き方を真似れば真似るほど、自分の存在が薄くなり、結果として自分が苦しむことになります。
自分の考え方でしか生きられないということは、意固地になって我を張ると言うことではありません。 意地になって、自分の考え方を変えないということでもありません。 他人の意見や考え方をよく聞いて、自分の現状と照らし合わせて、よりよい自分を求めていくということです。

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