「すべてのことは自分が引き寄せている」とも言える

 このタイトルは、非常に誤解を招きやすいタイトルなので、注意して読んで下さいね。

 「自分の身の回りに起きることのすべては、自分が引き起こしている、引き寄せている」と言われたら、みなさんはどう思いますか。 おそらく、大部分の人にとっては信じられないことだと思います。 私も最初は信じられませんでしたから。 勝手な解釈なのですが、自分にとって都合のいいことは自分が引き起こしたとしても、自分にとって都合の悪いことや悩み、苦しみまでもが自分が引き寄せていると言われても、すぐには納得しかねて当然だと思います。

  人間は意識的に関わっていることについては、「自分がそのような結果を招いたのだ」と納得できますが、無意識のうちに引き起こしたことについては、自分が引き起こしたのだとは思えないのです。 その結果が自分にとって都合の悪いことやつらいことであれば、相手に責任転嫁をしてしまいがちになるのです。 分かりやすい例で説明すると、失恋がなぜ自分が引き起こしたことなのでしょうか。 相手と結ばれたいとだけ考えているのに、失恋がなぜ自分が起こしたことになるのでしょうか。 それは自分が一生懸命相手のことを愛していたとしても、相手からみれば自分が魅力のある人間には見えなかったということなのです。 魅力のない理由は精神的なことかも知れないし、経済的なことかも知れません。 理由は千差万別です。 とにかく相手にとってみれば、自分よりも魅力的な人が表れたと言うことです。

  「相手にとって自分が魅力のある人間にみえなかったという」ことが、とりもなおさず自分が引き起こしたということです。 自分が精神的に幼稚だったのかも知れないし、経済的には相手を養っていけるだけの力がなかったのかも知れません。 自分よりも魅力的な競争相手が現れたということは、自分のそれまでの努力が足りなかったということであり、努力の仕方が間違っていたのかも知れないのです。 だから失恋してしまったのです。 これがすべてのことは自分が引き起こしている(「招いてしまった」と言っても同じことです)ということです。

  交通事故にあったということは、自分がなにかの用件があってそこに行こうとしたから事故にあったのです。 入学試験や就職試験に合格できなかったことも、自分に学力が足りなかったり、面接のときの印象がよくはなかったということなのです。 会社ではみんなと同じようなことをしても、自分だけが怒られるということも多いのですが、それは自分が性格的に反論できないので、相手は怒りやすいあなたを怒ったということなのです。 これがすべてのことは自分が引き起こしているということです。

  家庭でいつも妻に文句ばかり言われているという夫は、自分が家長としての役割を十分に果たしていないからかも知れません。 相手に問題があるからということも多くありますが、それは自分に相手を納得させるだけの能力がないということかも知れません。 いつも他人のことが気になってしかたがないひとは、自分に自信を持てないからかも知れません。 これがすべてのことは自分が引き起こしている、自分が原因だということです。

  この考え方は一歩間違うと、自分を責めることにもなりかねません。 私は至るところで言っているように自分を責めてはいけないのです。 自分を責めるのではなく、反省材料にすることが大切なのです。 このように考えると、自分の足りない面が見えてくるはずです。 相手に責任転嫁をしていたのでは、決して自分の欠点に気がつくことはありません。 ただ相手を恨むことになるだけです。 恨みで問題が抜本的に解決することはありません。 恨みは恨みを呼び込んで、果てしない泥仕合が続くだけです。

  相手に嫌な目に遭わされたとだけしか考えられないから、相手を恨んだり憎んだりしてしまうのです。 大切なことはなぜ自分が相手に恨まれなければならなかったのか、そのことを知ることだと思います。 そうすれば難しいことには違いないのですが、相手を恨むことより自分を反省することが、生きることをつらくしない秘訣だと分かるのではないでしょうか。 相手を恨んで心の憂さは少しは解消できても、問題はなにも解決できないのです。 むしろ問題の解決が困難になっていくだけです。 

  だから相手を恨んでもなにも解決できないのです。 相手に嫌な目に遭わされることによって、そこから自分はなにかに気がつくかが大切なのです。 人生のすべてのことは、同じことだと思います。 ただそこには感情が入って来ざるを得ないので、簡単にそのように考えることが難しいのです。 相手を恨んでばかりいるところには、進歩はないと言えます。

  「すべてのことは自分が引き起こしている」という言葉は、とっても重要な言葉です。 ただ使い方を誤ると自分を責めるばかりになり、自滅の道を歩むことになってしまいますから、よくよく注意して考える必要のあることです。 発想の転換、考え方を変えれば、同じ悩みや苦しみが人生のつまづきの意志にもなるし、飛躍への転機にもなりうるのです。

  私にも大きなことは言えないのですが、ひとりひとりがこのことを納得できたときに、世界は大きく変わるはずです。 ひとりひとりが現実に起こる様々なことの原因ならば、逆にさまざまなことを起きないように注意することもできるはずだからです。 そのときには、世界は変わると確信しています。 だからひとりひとりが、「自分がいまなにをしているか」、その結果がなにを招くのかを知ることが必要なのです。

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