他人に迷惑をかけることは、本当にいけないことか

  タイトルが変でしょうか。 こんなに当たり前のことを、わざわざ取りあげるからには、それなりの理由があると思うからです。  私たちはだれでも、小さいときから「人様に迷惑をかけてはいけませんよ」と教えられて育ってきたはずです。 他人に迷惑をかけてもよいと教えられて育ってきた人はいないと思います。 他人に迷惑をかけないようにすることは、社会生活の最も基本的なことのひとつですから。 意識的に、他人に迷惑をかけてはいけないことはもちろんですが、果たして無意識のうちに迷惑をかけていることはないでしょうか。 いやもっと正確に言えば、他人に迷惑をかけないで社会生活を送れるものなのでしょうか。 このことを問題にしたいのです。

  自分では他の人に迷惑をかけていない、あるいはかけたくないと思っていても、ある意味では迷惑をかけざるを得ないのが現実ではないでしょうか。 自分は他の人に迷惑をかけることはしていないと思っている人に限って、思わぬところで迷惑をかけているかも知れません。 ただ当人は迷惑をかけていないと思っているだけなのではないでしょうか。 逆に自分は他の人に迷惑をかけながら生活していると感じている人は、自分が考えるほどは迷惑をかけていないものなのかも知れません。 

  おかしいもので、他の人に迷惑をかけながら生かされているという意識が、結果的に迷惑をかけることを少なくしているのです。 迷惑をかけていないと考えている人は、なにが迷惑で、なにが迷惑ではないのかさえ分かっていないのかも知れません。言いすぎですかね。

  他の人に迷惑をかけることがなぜいけないかと言えば、相手に迷惑がかかることによって相手の生活や心が乱されるからです。 他の人に迷惑をかけないことは、お互いの生活を円滑にするためには必要なことなのです。 このような意味で、他の人に迷惑をかけてはいけないということは、だれにでも理解してもらえることなのですが、次のような意味で他の人に迷惑をかけてはいけないとするならば話は違ってくるのです。

  すなわち他の人に迷惑をかけてはならない理由が、相手を困らせるからではなく、相手に迷惑をかけることによって自分が面倒に巻き込まれたり、いやな思いをしたくないというときです。 相手のことを考えているつもりでも、実は無意識のうちに自分のことしか考えない利己的な発想だからです。 最近はこのような理由で「人様に迷惑をかけてはいけない」と言うことが多くはないでしょうか。 このような考え方で他の人に迷惑をかけていけないのならば、むしろ迷惑をかけて、迷惑をかけるとはどういうことなのかを体験した方がいいと思います。

  具体的なケースで説明します。 よくあるケースで、子供連れの親子が乗り物に乗っていて、子供がイスに膝をついて窓から外を眺めている光景を想像してください。 そうすると子供の足は通路側を向いていることになります。 そしてその靴がだれかの衣類にさわっているとします。 衣類を汚された人は当然子供か親に注意をするでしょう。 (いまは黙って、親をにらむ人が多いかもしけませんね。)  注意しないまでも、その日一日はいやな気持ちで過ごすことになると思います。 さて、あなたが親ならならどんな反応をしますか。 

素直に謝って、子どもをちゃんとイスに座らせる
ただ子どもを叱りつけるだけで、衣類を汚された人には謝らない
まったく知らない振りを決め込む
そのほかにもいろいろな対応の仕方があると思います

  ここで考えて欲しいのです。 衣類を汚された人の迷惑を考えて心の底から謝って、子供に座り直させるのなら問題はないのです。 しかし相手に謝ることによって、親自身がいやな思いをすることになります。 問題は親がこのいやな思いをしたくないから、子供にイスにちゃんと座るように教えることなのです。 親は相手に迷惑がかかるから、子供にはちゃんと座りなさいと教えているつもりかも知れませんが、無意識のレベルでは親が他の知らない人に謝ることがいやだから、子供にはちゃんと座るようにしつけてはいないかということなのです。

  私はこの世の中を気持ちよく生きていくためには、原則として他の人に迷惑をかけないように努力すべきですが、程度問題ではありますが、他の人に迷惑をかけないで生きていくことは非常に困難なことだと思います。 人間が社会的な存在である以上、ある程度は迷惑をかけたり、かけられたりしないと生きてはいけないのではないでしょうか。 そうだとするならば、誤解を恐れずに言わせてもらえば、むしろお互いに迷惑をかけ合うことを薦めたいと思います。

  なぜこのような常識はずれとも思えることを言うのかを説明いたします。 お互いに迷惑をかけたり、かけられたりすると、次のようなことが分かると思います。 これはとても大切なことですから、皆さんもよく考えて欲しいと思っています。

迷惑をかけると相手がどんな反応(仕返しも含めて)を示すのか、どんなに困るのかが分かる
相手の困る姿を目の当たりにすれば、自分がどんなにいやな気持ちになるのかが分かる
迷惑をかけると周囲にどんな影響を与えて、それが自分にどのように跳ね返ってくるのかが分かる
迷惑をかけられると自分が相手をどう思うか(恨むことなども含めて)が分かる
迷惑をかけられると自分がどう行動したくなるかが分かる
    ・ 極端な場合、相手を殺したくなるかも知れない
迷惑をかけたひとがどのような言い訳や行動をするのかが分かる
    ・ それによって相手が信じられる人物であるかどうかもある程度分かる
迷惑をかけられると自分の生活のリズムがどうなるのかが分かる
迷惑をかけたひとがどのような責任の取り方をするかで相手の人柄が分かる
    ・ ひとを見抜く眼力が養われる

  迷惑をかけたり、かけられたりすることによって以上のような生きた勉強ができるのです。 いくら知識として知っていも、所詮知識は知識にすぎません。 実生活に生かせるかどうかは、体験してみなければ分からないのです。 知識も体で理解してこそ知恵となりうるのです。 知識を知恵に昇華させるには、経験すること以外にはあり得ません。 経験を通して得られた知識こそが、人生に役立つのです。 頭で理解したことは、大して役には立たないものなのです。 経験の豊富な人が強いのは、このような理由によるのだと言えます。

  だから迷惑をかけたり、かけられたりすることの中から人間としての知恵が身に付いていくのです。 それなのに子供に経験をさせないから、あるいは経験する機会が少ないからいつまで経っても子供は成長できないし、親離れができなくなり、必然的に親も子どものことが心配で子離れができなくなるのです。 いま親子の問題が深刻になっているのには、このような理由がとても大きいと思っています。

  迷惑とはどういうものなのかが分かれば、自然に迷惑はかけないようになります。 いまの子供達は迷惑とはどういうことなのかを教えられたり、経験する機会が少ないので、いつまで経っても迷惑をかけてしまうのです。 そしてかけられたときの気持ちも味わったことがないので、すぐに切れてしまうのです。 このようなときの処理の仕方をだれも教えてくれないからです。 

  ただ致命的な迷惑は決してかけてはいけませんが、家庭や学校ではもっと迷惑をかけあいながら、生きた知恵を付けることが必要だと思います。 そうすることによって、人の気持ちを理解できるようになると信じます。 いま社会問題化していることの多くは、体験不足から来るものだと思います。 その体験不足の責任は親や学校や社会の責任だと思いますが、言い過ぎでしょうか。 子供達はその犠牲者ではないでしようか。 このことを一人でも多くの人に考えてもらいたいと思います。

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