自分らしく生きることは簡単なことなのか

 だれでも「自分らしく生きたい」、「自分の思いのままに生きたい」と切望していますが、自分らしく生きるとは一体どんなことなのでしょうか。 私はこのことは当然のこととして受け止めているので、深く考えたことはありませんでしたが、私のホームページの掲示板への書き込みの中に「自分らしく自然のままに生きたい」という書き込みがありました。 それが契機となって、このページを書いてみました。 自分らしく生きるということは、分かったようで分からないことではないでしょうか。 自分らしいとは、どんな自分を指しているのか、これが分かりにくいのです。 観念的には分かっているような気もするのですが、具体的には分かりづらいと思います。 

  だれにでも「こんな自分になりたい」という理想像があるはずですから、それをもって「自分らしく生きたい」理想像とします。 自分の思いのままに生きたいということは、「自分らしく生きたい」とはちょっと違うと思います。 思いのままに生きたいということは、自由奔放に生きることに通じるものがあります。 自分らしく生きることは自由奔放とは違うような気がします。 うまく言えないのですが。

  自分らしく生きるということはどんなことかといえば、心の底の本当の自分に正直に生きることだと思います。 悔いのない生き方をすることとでも言っていいでしょう。 自分らしい生き方というと、だれからも信頼され、自分の言いたいことが言え、人間関係の万事順調で、争いのない、家族や仕事や社会とも調和した理想的な生き方を想像しがちですが、はたしてそのような生き方はできるのでしょうか。 現実は自分らしい生き方が簡単にできるほど甘いものではありません。 むしろ現実は自分の思い通りにはならない、自分らしさを発揮するには勇気が必要とされるのではないでしょうか。 そのような社会で自分らしく生きようとすれば、どうすべきなのでしょうか。 これから考えてみたいと思います。

  自分らしく生きようとすることは、自分の価値観を第一に考えてその価値観を実現することですから、どうしても必要になることは、

妥協しないで協調すること
現実をごまかさない、現実から逃げない
その場しのぎや先送りをしない
失敗を恐れない
他人と自分を比較しない
完全主義者にならない
世間体を必要以上に気にしない
自己主張できる
あきらめない
八方美人にならない
断るべきときには、はっきりと断る
自分の責任範囲を明確にする
過去にこだわりすぎない
自分をあまり責めない、自分を信じる
自分の身は自分で守る、自己中心に考える (利己的に考えることではない)

などが、必要になってくるのではないでしょうか。 

  この意味で自分らしく生きるということは、大変つらいことなのです。 むしろ他人に妥協したり迎合した生き方の方が楽だとさえ言えます。だから、妥協や迎合した生き方が、社会にはびこることになるのです。 自分は考える必要もないし、責任をとる必要もないからです。 言われたことを言われたとおりにしていれば、それでもなんとか生きていけるのですから。 他人に追従する生き方は面白くありませんが、ある意味ではとっても楽な生き方なのです。 だから自分の責任を放棄して、他人に追従して生きていく人が後を絶たないのではないでしょうか。 でも生きる満足感や充実感は得られないのではないでしょうか。 自分を責め続ける生き方になってしまうような気がします。 

  自分らしく生きるということは、毎日が自分や他人との闘いであるということです。 闘いは勝つか負けるかの勝負です。 現実の人生は自分の思い通りにならないのがあたりまえなのです。 だから自分らしく生きなければならないと言えます。 そう生きることによってしか、自分の存在価値を認めることができないと思います。 他人の言いなりになって生きていても、充実した人生にはなり得ないのです。 人生は自分の思い通りにならないということこそが、人間をどのような人間にもしてくれるのです。 その証拠に、人生が比較的自分の思い通りになって生きてきた人を見ると分かると思います。 そのように人は、

自信過剰
わがまま
ひとの痛みが分からない
お金がすべてである
ひとをひととも思わない
責任転嫁をすぐにする

など、こんなことが多く見受けられると思います。

  自分には納得のできないことを、どのように考えるかによって人生は大きく変わってしまいます。 納得できないからといって、すぐに相手や上司にくってかかる人はどんなひとでしょうか。 すぐに責任転嫁をするひとはどんなひとでしょうか。 自分の言い分が通らないとすぐにむくれてしまう人はどんな人でしょうか。 そんなことを考えてみれば、自分に納得できないことをどのように理解するかということの重要さが分かるのではないでしょうか。

  「自分らしさ」というものははじめから決まっているものではなく、日常生活の中で自分で作り上げていくものだと思います。 そして過去を振り返ったときに、はじめて「自分らしさとは、こういうものだったのか」と気がつくものではないでしょうか。 自分らしさは大切なことなのですが、自然に身に付くものでもなければ、相手から与えられるものでもありません。 私をはじめとして、多くの人がこのことを勘違いしているようです。 自分らしさとは、闘って勝ち取っていくものだと確信します。 この場合の闘いとは、協調ししながらものごとに積極的に関わっていくことです。 犠牲を払って得たものだから、その価値は尊いのです。 苦労しないで手に入れたものは、失いやすいのです。 お金でも、人の心でも。 苦労するからこそ、生きることに意味があるのです。 このことは「この世の中はすべてが相対的だ」を読んでください。

  自分らしさとは、自由気ままに生きることではありません。 自分らしく生きることは、努力と苦労、そして事故を律することがつきまとうのです。 簡単に自分らしく生きたいといったところで、そのようなことでは自分らしく生きられるとは思えません。 そんな生き方は勝手気まま、まがままというのではないでしょうか。   

  なにが自分らしいのか、なにが自分らしくないのか、なにが自分に向いているのか、なにが自分に向いていないのをどうして判断するのでしょうか。 それを知る方法は、たったひとつしかありません。 ひとつしかないのです。 それはやってみて、自分で判断する以外に方法はないのです。 それなにのやって見もしないで、親や先生、周りの人に言われたことが自分に向いていると思い込むことが、悲劇の始まりではないでしょうか。

  自分らしく生きると言うことは、もっとも苦しく、そしてつらいことだと思います。 だからこそ、得られる充実感も大きいのです。

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