自分だけがつらい思いをして生きているのではない

 私たちはだれでもいやなことやつらい目に遭うと、「なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないのだ」といって、相手や社会そして自分を恨んだり、自分を責めがちなものです。 本当は自分が原因をつくっているかも知れないのに、このことには気がつかないで他の人の非ばかりを責めがちなのです。 私も自分のしていることには、本当に気がつきにくいものだと我ながらいやになることも多いのです。 あとで「失敗したな」と反省することしきりです。 だからといってなにごとも自分が悪いのだ、自分に責任があるのだと考えることもいけないことです。 この件については「自分の責任範囲を明確にしよう」を読んでください。 

  人間はだれでも、人それぞれに問題や悩みを抱えて生きているのだから、自分一人だけがつらい思いをしながら生きているのではないと言いたいのです。 他の人は問題を抱えていても、何らかの理由により顔に出さない、あるいは出せないだけなのです。 その理由はここでは取り上げませんが、他の項目を読んでいただければ分かると思います。 重要なことは人間は他の人の心の中までは分からないので、自分だけがつらい生き方をしていると思い込んでしまうのではないでしょうか。 他の人たちも自分と同じように問題を抱えて生きているのだということが分かれば、少しは心が軽くなるのではないでしょうか。 自分だけが苦しい、自分だけがつらいということは、ときとして自殺の原因になるくらい生きることをつらくしてしまうのです。

  他人に対する思いやりを持てない人に限って、自分だけが苦しんでいるように思えてしまうようです。 なぜならいつもは他人を軽視して生きているからです。 いつも自分のことだけを考えて利己的に生きているから、なにか問題にぶつかってしまうと他人のことも考えられなくなるからだと思います。 これを「自業自得」と言って簡単に片づけてしまうわけにも行かないのです。

  いまつらい思いをしながら生きている人は、大変だとは思いますがつらさの中でも、他人に対する思いやりを持てるように努力してはどうでしょうか。 他人に対する思いやりが自分に対する思いやりにもなって、そこから問題解決の糸口が見つかるような気がします。 これは理屈ではありません。 なぜと言われても、私にも説明できません。 ただそう信じているだけです。 利己的な生き方をする人に限って、得るものが少なく失うものが多いように思います。 利己的な生き方は短期的には利益をもたらしますが、長い目で見た場合は失うものの方が多いのです。 なにを失うのかは、人によって違います。 私は映画の「市民ケーン」を見たわけではありませんが(平成13年現在はビデオでみていますが)、筋書きだけは知っているつもりです。 あの生き方が利己的な人の末路ではないでしょうか。 お金で人の心や幸せは、最終的には手に入らないのです。 逆にお金がなければ、苦労が多くなることも事実です。 両者のバランスが必要だと思います。

  自分だけがつらい思いをしていると考えれば、生きることがますますつらくなってしまいます。 つらいときこそ周囲を見渡すことが必要だと思います。 なかなか周囲を見回す余裕がなくなってしまっていることは、分かります。 そして自分だけがつらい思いをしているのではないことを分かれば、苦しみもずっと和らぐはずです。 「自分だけが、自分だけは……」という世界に閉じこもってしまうから、見つかるはずの出口も見つからなくなるのです。 周囲を見渡すことができなくなっているから、なおさら「自分だけが……」となってしまって、苦しみが一層重くのしかかってくるのです。 なにごとにも解決策がないのではなくて、見つけられないのです、気づくことができないのです。 心に余裕がなくなっているから、分からなくなるのです。 そんなときこそ、原則に変えることが必要なのです。 「迷ったら原則に帰る」、この基本的でシンプルなことが、生きることを楽にしてくれるはずです。 そして周囲を見渡してみることが、出口に導いてくれると確信します。

 「自分だけがつらい思いをして生きている」という想いがことさら強くなってしまうのは、根本的なところで自信を持つことができないからではないでしょうか。 それと自分では意識していなくても、利己的になってしまっているからではないでしょうか。 つらいとき、自分の殻に閉じこもってしまいがちなのは仕方がないとしても、いつかはそのような狭い世界から抜け出す必要があるのです。

 他人のことも少しは考えられれば、「自分だけがつらいのではない」ということを理解できると思います。 よく芸能人などが、自分を反省を振り反ってテレビなどで話しているのを聞くと、「あんなに明るくしていた顔の下に、そんなにつらいことがあったのか」というこが分かると思います。

 生きることはだれにとっても、くらく、苦しいことなのだ、自分だけがつらく、苦しい思いをしているのではないと分かって欲しいのです。 そして大切なことは、このようなことを頭で理解するのではなくて、自分自身の体験を通して納得することです。

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